今日は物忌みである。
露樹もいない。は冥府に戻っている。晴明も珍しく出仕している。昌浩と吉昌はもとより出仕中だ。いつもならいるはずの式神たちも今は天津原に戻っている。
は一人、安倍家の屋敷にいた。
「・・・・・・・」
何することもなしに唯一人、褥に横になっていた。
そうしているうちにだんだんと眠くなってくる。
やがては規則正しい寝息をたてていた。
春の日であった。その屋敷の庭では桜の花びらが舞い踊っている。
桜の香りが屋敷中に充満する中、元気な赤ん坊の泣き声が聞こえた。
小野家当主に子供が産まれたのだ。小野家、橘家で宴の用意がされた。
子供の名は小野、橘の姓ではということになった。
「よかった・・・・・無事に産まれてくれて」
橘家当主橘深香は生まれたばかりの子を愛しそうに抱きしめた。
「私の力を受け継がなくてよかった・・・・・」
「深香」
「あなた・・・・」
「無事に産まれてくれたな」
「えぇ・・・・・・・あとで高於にも挨拶に行かなければ。翡乃斗、螢斗いますか」
"ここに"
「これからあなたたちの主となる子です。といいます。どうか・・・・・守ってあげてくださいね」
二人の神は赤ん坊の顔を覗き込んだ。赤ん坊の瞳が二人を捕らえる。
「まぁ・・・・・・」
「なんと・・・・」
赤ん坊はきゃっきゃと笑いながら二人へと手を伸ばして行った。
二人はその小さな手へと指を伸ばす。二人の腕にすっぽりと収まってしまうほどの赤ん坊は二人の手に触れるとさらに笑った。
「この子を頼みます」
二人はうなずいた。
それから数日後、深香と当主は貴船にむかっていた。
二人の背後に二人の神がいる。
「深香か」
「はい、高於お久し振りです」
「産まれたのだな」
「えぇ。きっと・・・・・・この子が最後になるかと想って」
「そうか」
貴船の神はに目を向けた。
「なるほど・・・・・月読が懸想するのもわかるな。この子供の魂は清らかなものだ」
「月読さまが・・・・・」
「あぁ。嬉しそうに報告に来ていたからな。この子は月と日の加護を請けることになろう。それと・・・・・闇と光か」
高於は子供の背後に控える神に目を向けた。小さくうなずくと深香を見た。
「おめでとう、深香。お前の娘は何よりも強く賢く、そして美しくなる。だが・・・・その対価も大きいものとなろう。それでもその子を守ることができるか?」
「私の娘ですもの。できるわ」
高於はの頭に手を置いた。まっさらな魂が一瞬だけ光る。
「こいつがその力で人を守る限り、私は助けになろう」
「ありがとう。高於」
それから時が過ぎた。小野家の庭で賑やかな笑い声が響く。
「さま、そのようにしゃがみこまれてはお着物が汚れてしまいます」
ほんの少し成長したは美しい着物が汚れるのもかまわずにしゃがみこんでいる。世話役の女房が困ったようにそのまわりでうろうろとしていた。
深香はその様子を微笑ましそうに見ている。
は嬉しそうに笑うと何かを掴んで母親のもとへ持って行った。
「母様、翡乃斗、螢斗、ホラ見て!綺麗なお花!」
「本当ね」
は母に抱きついた。深香の背後に控えていた二人の神は顔を見合わせると笑った。
その夜のことである。
「力が・・・もう制御できなく」
「そうか・・・・・・・どうするつもりだ、深香」
「橘当主として私は死にますわ。この力が完全に暴走してしまえば都中の人が死んでしまう。私には耐えられません」
「深香・・・・・・・・」
「あなたにはたくさんの迷惑をかけてしまいました・・・・・・・・どうかと私の分まで生きてくださいませ」
「深香・・・・・・・・・・私にはお前がいなければいけないのだよ」
「でもそうしたらが・・・・・」
「深香・・・・・・・愛している。死ぬ時は一緒だと誓っただろう?」
深香の目から涙がこぼれた。
「ひどい・・・・・ひどい人・・・・・・」
「うん」
「それでも私はあなたが好きなのですね」
「あぁ」
深夜二人の姿が消えた。
そのことに気がついたのは翡乃斗と螢斗だけだった。二人はすやすやと何も知らず眠っているの傍に近寄った。
「・・・・・・」
"・・・・・・"
は幸せそうに口元に笑みを浮かべてすやすやと眠っていた。
「当主様!」
翌日家人たちは血だらけになって帰ってきた当主に驚いた。
当主は家人たちを部屋から追い出すと一人、静かになった。
あまりに静かで返事がないのを不審に想った家人たちが部屋を見ると当主は自ら腹を切って死んでいた。
翡乃斗と螢斗を相手にして遊んでいたはざわついた気配に顔をあげた。
「?」
「・・・・父様・・・・・・・?」
は部屋から飛び出す。そのあとを二人の神が追った。
そして家人たちが集う父の部屋で見たものは・・・・・・・
子供特有のかん高い悲鳴があたりに響いた。は半狂乱になって父の体にしがみつく。
声の限りに叫んでも父は目を開けない。さらに母の姿まで見えなかった。
「父様っ!父様っ!!父様ぁぁぁ!!」
の中で何かが切れるようなプツンという音がした。
その瞬間彼女の体は後ろへと倒れた。寸前に翡乃斗が体を支える。
は涙を流していた。
そして・・・・・・
は目を開けた。
眠って夢を見たらしい。よりによって父親が母親のあとを追って死んだ日のことだ。
は深い溜息をついた。
「・・・・・・」
そして頬を流れるものに気がつく。指で触れ、それを口の中へ持っていく。
「・・・・・・・しょっぱい」
は涙を流れるに任せた。
泣きたい時に泣けるのは幸せなのだと、遠い昔に誰かが言っていた。
「馬鹿みたい・・・・・」
"、かえ・・・・・・・?"
式神たちが不審そうにの背を見た。
は慌てて目をぬぐい笑顔を作る。
「お帰り、早かったじゃん。天照の用事は簡単だったの?」
「あぁ。たいしたことなかった」
二人はの頬に残る涙の跡に気がついたが何も言わなかった。は気を使ってくれる二人に心内で謝っていた。
「さてっともうすぐで露樹様も帰ってくるかな。夕餉の用意お手伝いしなくちゃ」
「そうだな」
は立ち上がるとちょうど帰ってきた露樹のもとへと走って行った。
翡乃斗と螢斗は己の無力さを責めていた。止めればよかった、と今でも後悔しているのだ。
あの時、小野家当主が自ら命を絶つことがわかっていたのだから・・・・・ムリとわかっていても止めればよかったのだ。
そうすれば、は・・・・・彼ら二人の大事な主が傷つくことはなかったのだから。
でも結局二人はそうしなかった。何故かと問われれば、それが天照の神意だからだ、と答えるだろう。
「逆らえばよかったのだ・・・・・自らを犠牲にしての・・・の笑顔を守ればよかった」
強くなりたかった。娘を守るために自らの死を選んだ彼女と、どこまでも彼女を愛しぬいたあの男のように・・・・・・
少しでも大事なものを守るために・・・・・・もう二度と大切なものを失わないために
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