は息をのんだ。
東三条殿から帰ってきた昌浩の顔色は真っ青。そして彼の体を瘴気が取り巻いているのだ。

「昌浩・・・・・・・・」

固まってしまったを見た昌浩は弱々しく微笑んだ。

「大丈夫。ちょっと疲れて・・・・・・」

ふらりと倒れこんだ昌浩を緋乃が支える。に目を向けると昌浩の口元に細口の薬瓶を当てた。
ゆっくりと昌浩の口の中へ仙薬が入っていく。白い喉が動き、クスリが飲み干される。

「昌浩、気分はどうですか」
「・・・・・・・・・・少し、よくなった」
「・・・・・・・よかった。でもなんでそんな・・・・・・瘴気が」

昌浩は顔を俯かせた。それで大体の事情は察することができる。

「昌浩、あなたが彰子姫を救いたいのはわかります。そしてあの異邦の妖異を倒したいのも・・・・・でも、でも無茶だけはやめてください。あなたの体も心配です」
姫・・・・・・」
「あなたももそう。いつも無茶ばかりして、回りに迷惑をかけていることなど知らずにいるのでしょう?あなたのそばにいる物の怪だって、あなたのことを心配している。私も心配しています。だからお願い・・・・無茶はやめて」
「でも俺は彰子を救いたいんだ」

昌浩はそう言って部屋に戻って行った。は悲しげに目を伏せると緋乃へ目を向ける。緋乃は心得たとばかりに穏行し、昌浩のあとを追っていく。
の傍らに弓狩が顕現した。

「弓狩・・・・・・あなたはどう思いますか、今回のこと」
「彰子姫の入内・・・・・・恐らくそれが引き金になったものかと」
「・・・・・・・・・・・・・・・権力というものは醜いのですね。利用されるのはいつだって姫たち・・・・・・・人の世は・・・・・・・・」
様・・・・・・・」
「弓狩、仙薬をにも渡してください。あの子も疲れきっているでしょうから」
「かしこまりました」

弓狩の姿が消える。
は弓狩から仙薬を受け取るとそれを一息で飲みきった。

「疲れていらっしゃるんですね、様」
「ん・・・・・・・」
「どうした、

はゆっくりと目をつぶった。つい先ほど、晴明から聞かされたことがある。

「翡乃斗、螢斗。昌浩につきなさい」
"だがは・・・・・・"
「私はここにいなくちゃいけない。昌浩には騰蛇と六合がついているから心配ないだろうけど、あなたたちの力も必要になるだろうから」

二人は未だ文句を言いたそうだったが何も言わずに姿を消した。は溜息をつくと同時に弓狩を見た。

「仙薬、ありがとう。助かったわ」
「いいえ、様のご命令ですから」

弓狩は軽く一礼すると姿を消した。
は軽く息をつき、先ほどの晴明との会話を思い出す。


"えっ嘘・・・・・・"
"本当じゃ"
"・・・・・・・・じゃぁ"
"うむ・・・・・・頼んでもよいかの、"
"別にかまわないけど・・・・昌浩には?"
"何も"
"・・・・・・・・・そっか。そっちのほうがいいかもね"


すべては今日だ。昌浩は晴明とともに東三条殿に行っている。恐らく昌浩は屋敷には戻らず真っ直ぐに窮奇を倒しに向かうだろう。
少しでもはやく彰子を呪詛から救うために。
時間が経つのがもどかしかった。もっと早く、早く進めと何度も心の内で呟いた。
やがて晴明が帰ってくる。

「晴明、昌浩は?」
「むかった」
「・・・・・・・そう」

はあらぬ方向へ顔をむけた。風がほんの少しの神気をはらんでいる。
「昌浩・・・・・」

―どうか無事に帰ってきて。


「翡乃斗も螢斗もいいのか」
「主の命令だ」
"従わないわけにはいかんだろう"

車之輔に並走しながら二人は言った。時刻は既に宵の頃、神隠しを恐れて都人たちは黄昏とともに家屋に閉じこもり、門扉を閉ざし息を潜めながら暁が来るのを待つ。
廃墟のように静かな都を車之輔と物の怪、狼が走っていた。

「どこへむかう昌浩」
「・・・・・・・」
「――巨椋池か!」

答えぬ昌浩の代わりに物の怪が答えた。
都の外にあるその池はなるほど、確かにあの窮奇一行が息を潜められるほど巨大である。しかも貴船とは逆位置である。
やがて巨椋池についた一行は暗闇に目を向けた。途端、湖面が不穏に揺らめいたかと思うと翡乃斗と螢斗の武器が一閃した。
青と黒の布が翻る。

「昌浩。ここは我らに任せろ」
"あの湖にむかって走れ。あの湖が異界へと繋がっている"
「えっ・・・・・」
"まぁ招かれざる客がいるからな"

ダンッと二人が地を蹴った。水中から宙に飛んだ二人と六合、騰蛇に向かって黒い触手が伸びていく。
「チッ・・・・・・・・」
「うわっっ!」

昌浩の声がした。
騰蛇が止める間も無く、昌浩は水面に引き込まれていく。

「路が閉じる!!」
「昌浩っっ!!」

騰蛇は手を伸ばすが、昌浩の指先に触れるだけで姿が消えた。

「こぉのぉぉぉぉぉ!!!」

翡乃斗と螢斗は武器をしまいこんだ。騰蛇が怒りにたけ狂い、六合は黙ったままそれを見ている。

「・・・・・・・ほうっておいていいか」
"無論"

騰蛇の体から巻き上がった怒りは触手を燃やし尽くす。すげぇと感心する人たちがいる。
螢斗の背後に禁鬼の気配が降り立った。

"お二人にお話が"
「・・・・・・なんだ」
"実は・・・・・・・・・"

禁鬼からもたらされた情報に二人は目を丸くする。そして次には溜息をついた。

「仕方あるまい・・・・・・・・」
"手伝うしかないのか・・むしろ我は晴明も思惑にのるのが気に入らん"
「確かに」
"お二人とも・・・・・・"
"まぁ仕方がない"
「今回だけは暇つぶしにその思惑、のってやろう。晴明に伝えておけ、神がのってやるのだからな」
"・・・・・・それと様よりのお達しで、'暴走したらぶっ殺す'・・・・・・・・・・だそうです。それでは"

肝が冷えるような言葉を残して禁鬼の気配が消える。
二人は溜息をついた。そして騰蛇を見る。騰蛇が水中に消え、六合も彼らを見て水中に飛び込んだ。

「・・・・・・・・・・騰蛇には根性という言葉が似合うな」
"むしろ昌浩を思いすぎなのだろう"

確実に騰蛇が聞いたら、お前たちもだろう、と言いそうな場面である。
ふと螢斗はほかの十二神将の神気を感じ取った。

「晴明からの遣いか、青龍?」

面白そうな声音にこたえたのは不機嫌を具体化したような青龍であった。


、付き合ってもらっていいかの」
「藤原の屋敷に行くのね。いいわ」
「父上・・・・・・」
、あれなら大丈夫じゃ」
「わかっていますわ、父上の後継ですもの・・・・・・・・・・・そして私の・・・・・・・

――魂の半身――

は夜遅くに晴明と共に出掛けるを見送った。

"様"

穏行したままの禁鬼が声をかけてくる。先ほど螢斗たちに遣わせたのだ。

「お帰りなさい。反応はどうでしたか?」
"晴明様の思惑にのるのは面白くないと"
「別に父上の思惑とかは関係ありませんのに・・・・・・・・・」

はそういいつつ苦笑を漏らしたのであった。


「晴明、その女子は・・・・・」
「はい。昔、彰子様をお救いした者です。小野と申します。今は故あってこのように男装をしております」

は道長に深々と頭を下げた。

「彰子の守りにはを、と言ったはず・・・・・・・・」

「道長様、私と兄上は晴明様のお屋敷に居候させていただいています。彰子様の護衛はいつでも」
「信じてよいのじゃな?」
「はい」

は自信たっぷりにうなずいた。道長はそれを見て腹を決めたのか、立ち上がる。
晴明とも立ち上がり、道長の後に続いた。

『神気・・・・・・・・』

向かう部屋から神気の残滓が漂ってくる。晴明に目を向けるとほんのりと口元に笑みを浮かべていた。

『やれやれ・・・・・・・』
「彰子、よいか」

道長は返事を待たずして妻戸をあける。彰子がはじかれたように振り向き、道長の後ろにいると晴明を見ると目を瞠った。

「大事な話がある。心して聞きなさい」



まだ、暁には遠かった。
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