欠伸をかみ殺しながらは晴明のへやへとむかっていく。
「せー「うえぇぇぇぇぇ!?」・・・・・・・?」
部屋に入った直後かえるが潰されたような声が聞こえてきた。
は中を見てあぁと納得する。納得できてしまうあたりが悲しいのだが・・・・・・。
とりあえず静かに孫と祖父の戦いを見守る。
「じい様、なに考えてんですかっ!」
「言ったとおりだ。・・・・・・なんじゃ、できぬか。できぬのか」
昌浩は身構える。おぉはじまったよ、とは内心で呟いた。
晴明はそのまま視線を斜めに落とし、よよ、と泣く真似をした。
「ああ、なんということじゃ。アレほど心を砕いてわしの持ちうる全てを教え込んできたというのに、できぬとは。かくなる上は、恐れ多くも貴船の祭神高於神が情けをかけてくださり永らえたその命を潔く返上し、至らぬ我と我が身を詫びねばならぬ。ああ昌浩、じい様は悲しいぞ、切ないぞ、胸が潰れる思いがするぞ」
「・・・・・・・・・じい様、俺を殺す気ですか」
確かに命を返上ということはそのままあの世行きということだ。
さて続きはどうなるかな、とは興味深げに見守った。いつもなら昌浩は額に青筋を立てて沈黙する。が、今回ばかりは違った。
「ひどいっ、ひどすぎるっ!あまりといえばあまりな仕打ちじゃないですかっ!やっぱりじい様は俺なんか可愛くもなんともなかったのですね!」
昌浩の隣にお座りしていた物の怪は唖然として声も出ない。も目を丸くしてこの事態に見入っていた。
「ええ、ええ、仕方ありません。あれだけ目をかけられて、技の全てをそれこそ瓶の水を移すが如くに教えてもらいながら、この為体。まだまだ半人前で、頼りなくて、物の怪のもっくんにまで日々さいなまれる身の上です。この未熟な命ひとつで、かの龍神のお心が鎮まるというのでしたら潔く返上いたしますともっ!」
「「・・・・・・・すげー泣き落とし返しだ」」
物の怪との言葉が重なった。昌浩は二人を軽くにらむと晴明を見た。晴明は思わぬ反撃にあって茫然としている。
ついに昌浩が晴明に勝利した?!・・・・・そう思われた矢先のことである。
「・・・・・・・そうか、お前にその覚悟があるならば、わしももう余計なことは言わぬ。待っておれ、今この場に高於神を降ろし奉り、今のお前の言葉を一言一句たがえることなく申し上げよう」
えっ、と昌浩は顔をあげた。晴明は扇の先で額を押さえながら沈んだ口調で続ける。
「お前がこの世に生れ落ちてより幾星霜、なんと楽しかったことか。おおそうだ、五つになるお前を貴船に置き忘れたこともあったのう」
「置き忘れたんですか」
「陰陽師はいやだとぬかすお前を、書の大家や雅楽の大家の許に赴かせたり、初の妖怪退治に遣わしたはいいが結局腰を抜かして、紅蓮と紫に救われたこともあったのう」
「いや、それは置いといて」
「何もかもが皆懐かしいのう・・・・・・。昌浩や、次に生まれ来る時には、徳の高い力の優れたものとして我が家に帰ってくるのだぞ」
「・・・・・」
ほろほろと情感たっぷりに泣くまねをしている晴明には付け入る隙がない。昌浩は反論するための言葉を捜しているが、雰囲気に負けている。
物の怪とは視線を合わせると笑いを噛み殺した。
晴明が目をへとむける。
「どうした、」
「あぁ。うん、実は・・・・」
が、と続くはずだった言葉は突然のことに途切れた。
何かがはじけたような衝撃に地の唸り。の髪が翻った。晴明と共に南の空を見上げ、目を見張る。
常人には見えない瘴気の渦が巻き上がっていた。
「ちっ・・・・」
は舌打ちすると鋭く口笛を吹く。突如風が吹き荒れの姿が掻き消えた。
「東三条殿へ行くぞ!」
風が巻き起こり、東北対屋にの姿が現れた。
指笛を鳴らし、何事かを指示する。二人の式神の気配が消えた。
「彰子姫っ!」
倒れている彰子に駆け寄ったは顔を歪ませた。濃密な瘴気が彰子の右手の傷から染み出している。
「・・・・・・・・・あなたは、何故・・・・・」
優しく傷に手の平を添え、何事かを呟く。彰子の体から染み出していた瘴気がの手の平を伝わって彼女の体の中にしみこんでいった。
猛烈な吐き気がを襲う。は吐き気を飲み込むと、彰子の体の周囲に結界を張った。そして背後を振り向く。
異邦の妖怪たちがとその背後にいる彰子を狙っていた。
「彰子には指一本触れさせない・・」
白銀の光りと紅の閃光が走った。の脇に物の怪が着地する。二体の妖の首がごとりと落ちた。
「相変わらず神を移動手段にしているな、」
「ふんっ、利用できるものは神でも利用しろってね。家訓なの」
「ぜってぇそれは違う」
ゆっくりとの体から清浄な気が発される。物の怪がはっと息を呑んだ。
「お前・・・・・・・」
「ここ数日の特訓の成果見せてあげるわ」
は表情を硬くした。傍らで穏行し、片膝を立て座っていた禁鬼たちが腰を浮かす。
「瘴気・・・・・・・・・・・」
ゆっくりと目を閉じ、は瘴気の許を探る。探って・・・・・そして辛そうな顔をした。
「呪詛・・・・・・・彰子様にかけられた異邦の・・・・・・・・・」
“様”
「弓狩、緋乃。燎琉様より、仙薬をなるべくたくさんいただいてきてください」
“いったいなにを・・・・・・・”
「彰子様に昌浩、に飲ませる必要がありそうです」
二人の禁鬼は無言で気配を消した。は立ち上がって南の方角を見る。
東三条殿、そこには昌浩の想い人がいるはずだ。
はぐったりとして壁に背を預けていた。襲い掛かってきた妖怪を倒したはいいものの、体の中に取り込んだ瘴気が浄化しきれずにいるのだ。
物の怪が心配そうにを見る。
「大丈夫・・・・・・・・・晴明たちだ」
が笑顔でそう言ったときだ。昌浩が息を切らして駆け込んできた。その直ぐあとに晴明もやってくる。
「彰子!!」
と物の怪にはさまれるようにして倒れている彰子を昌浩は抱き上げた。薄っすらと目を見開いた彰子は視線を彷徨わせ、昌浩を見止めると涙をこぼした。
「・・・・さ・・・・ろ」
聞こえてる、わかってるよ、と昌浩は何度もうなずく。
は二人を尻目に晴明へと目を向けた。
「・・・・お前」
「何も言わなくていいから・・・・・私は瘴気に耐性があるから大丈夫。それよりも彰子の呪詛のことなんだけど・・・・」
「我が身を形代にする」
「無茶だ!お前、年を考えろ、年を」
「わしはそこまでやわではない」
「・・・・・・・・・・・私がなる。瘴気はなんとでもなるから・・・・・・・・・・」
「そうか・・・・・・・・大臣家の方々は」
「翡乃斗と螢斗に瘴気の浄化は任せてあるわ。問題ない」
晴明は狩り衣からのぞくの首許へ目を向けた。はその視線に気がついたのか、あぁと小さく声を出した。
舌をペロッと出して片目をつぶる。
「ちょっと取り込みすぎたみたい。少し呪いが進んだわ。でも大丈夫。根性で食い止めてるから。それに私よりも彰子をなんとかしてあげて。苦しそうだから・・・・・・・・・」
晴明はひとつうなずくと彰子のもとへと寄って行く。は小さくごめんね、守ってあげられなくてごめんね、と呟いた。
彰子が左手に握り締める匂い袋の存在を知っているから。その匂い袋が何を意味するのかも知っている。
「約束・・・・したのにね」
"お呼びでしょうか、道長様"
ほんの少し前、 久し振りに出仕してから数日が経ったある日。は道長に呼ばれた。
"あぁ。、お前に頼みたいことがある"
"頼みたいこと?晴明様ではなく?"
"宮廷に長くいるお前にだ。我が娘、彰子が入内する"
その言葉には眼を見開いた。
"ですが、彰子様はまだ裳着も済まされていないのでは"
"そのことに関しては晴明に良き日を占わせておる。それでだ、お前に彰子付きの陰陽師になってもらいたい"
道長の頼みごとにも驚いたが、もっと驚いたのは彰子の入内のことだ。まだ彰子は十二である。
確かに大人びているし、教養もあるから帝の后としては申し分ない。しかし・・・・・
"しかし、道長様。いささか早すぎると思うのですが・・・・・・"
"時間がないのだ。中宮定子に子が生まれる前に・・・・"
醜いのだ。権力というものは。
その権力の餌食となるのは決まっていつも貴族の姫たち。
彰子へその報告に行ったとき、彼女自身から聞いたことがある。
"昌浩がね、来年の夏に貴船へ螢を見せに連れて行ってくれるの"
"貴船?歩いていくのにはいささか遠すぎる気が・・・・・・・・・"
"そうでしょう?そう言ったの。でもね、昌浩ったら自信たっぷりに言うの。この前見つけた車の妖に乗せてもらえば一晩で帰ってこられるって"
"くすっ、でも昌浩らしいですね。もちろん私も一緒に行ってもいいのでしょう?"
"えぇ。三人で・・・・違う、昌浩と私ととあの白い物の怪と翡乃斗と螢斗で"
"では約束、ですね"
"えぇ"
「ごめんね」
誰にも聞こえないほどの小さな呟きは嗚咽に紛れて消えた。
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