螢斗は熟睡しているを起こすべきか起こさざるべきか悩んでいた。
昨夜、というかつい先刻、は埃と砂、かすり傷だらけで帰ってきたのだ。問い詰めれば異邦の妖に出会って、そのあと蛍に出会い、貴船まで蛍を連れて行って走って帰ってきたという。
なんともまぁ・・・・・・大変な夜警だったわけだが・・・・・・
"・・・・ちゃんと出仕をするべきだと俺は思うのだが"
「ん〜」
はその声に反応して目をこすりこすり立ち上がる。のそのそと着替え、朝食を取りに行く。この時点でまだ頭は半分眠っているらしく、途中で思いっきり柱とぶつかっていた。
「痛い・・・・・・」
「寝不足はいかんのう・・・・」
「大丈夫ですか?」
晴明とが背後から声をかけてくる。ぶつけた衝撃で目を覚ましたは涙目で二人を振り返った。
「おはよう・・・・・うん、なんとか大丈夫(痛いけど)」
「昨夜はなにをしていたのですか」
「あうん・・・ちょっとね」
「・・・・・月読様と逢引でも?」
「まさか・・・・・・・絶対ありえない」
は半ばげんなりとして答えた。晴明とはころころと笑う。
「そういえば、星読みが苦手なのために言っておくが・・・五日ほどお前は物忌みにあたっておるぞ」
「・・・・・・・五日も?」
「うむ」
「もうったら本当に星読みが苦手なのですね」
「は大得意だもんね」
「もちろん師が師ですから」
最近もだんだん黒くなってきたよなぁ、とは思っている。やはり冥府と違って生まれ育った邸にいると本当の姿に戻ってしまうのだろうか。
あぁあの純粋な笑顔を見せるが懐かしい、とは思った。
「?」
「ううんなんでもない。さてっと今日の朝餉はなぁにっかな」
はそう言って朝餉の朝餉の席にむかった。昌浩と物の怪の賑やかな会話が聞こえてくる。
「おはよぉ!昌浩、物の怪」
「そこぉ!物の怪言うな!!しかも物の怪だけ強調すんな!!!」
「物の怪言うな言われても物の怪じゃん」
「俺は物の怪じゃないぞ!!」
「、もっくんに関わってると夢見悪くなるよ」
「そっか。うん、わかった」
「納得すなーっ!」
は会話を聞きながら笑いを堪えるように着物の袂で口を押さえた。
晴明の目元の皺も和んでいる。
「おっ、聞いてくれよ」
物の怪は朝餉を取るために座ったのそばへと走りよって行く。
「はい?」
「昌浩ったらひでぇんだぜ。ひとが心安らかに寝ているところをいきなりがんがん殴ってくるんだからな」
「まぁ・・・・・」
「人の上で横になって眠り、あまつさえ夢見を悪くしたお前が何を言う」
「ひでぇひでぇ、熟睡していたんだから不可抗力だろー」
「うるさい」
の一声で昌浩と物の怪の不毛な言い争いは幕を閉じた。昌浩は箸を置くとさっさと立ち上がる。
「行ってきます」
「昌浩、どこへ行くんだ」
「どこって・・・・大内裏にですよ」
「昌浩、お前ちゃんと暦は見たのか」
「はっ?」
「無理でしょう。昌浩は私と同じで星読みが苦手なんだから」
は対して気にも留めずに言った。苦手はものは苦手なのだからしょうがないだろう、ということだ。
昌浩は父を見た。晴明が軽い溜息をつく。
「お前は今日から三日ほど物忌みに当たっておる。ちなみには五日じゃな」
「了解」
昌浩はそのあとふてくされながら部屋に戻った。
はの部屋にやってきている。もちろん物忌み中は精進潔斎を心がけなければいけないため式神たちはいない。
は(仮に、だが)陰陽師をやりながらもあまり物忌みなどには頓着していない。むしろそういうことをやる意味さえ知らない。
「晴明も素直じゃないのよね・・・・正直昌浩を休ませたいのならそう言えばいいものを」
「それもそうですが・・・・・・の物忌みは本当のことですよ。今大内裏に行けばその身に穢れを負うことになります」
「了解・・・・・星読み得意だもんね、は」
「もちろんですわ。私が一番気にいっているものですから」
「えっなにそれ、つまり私や昌浩が・・・・・・まぁいいや」
「あら思考の停滞はいけませんわよ」
「はいはい」
は狭霧丸を手に持った。
「どこへ行きますの。今日は物忌みですよ」
のいさめるような声音には振り向く。その顔は笑っていた。
「うん、でも今日はどうしても行かないといけないから」
「・・・・・」
「見逃してね」
の姿が一瞬で消える。そう今日は・・・・・・・
「だから父上もあなたの物忌みの期間を前倒しにしたのですね・・・・・・・」
の両親の命日だったのだ。
"様・・・・・・"
「弓狩、のそばについていてあげてください。あの子には必要です」
"かしこまりました"
弓狩の気配が消える。は少し心配そうに顔を曇らせた。
月と日、闇と光に愛された類稀な魂の持ち主・・・・それがであった。
また昌浩も、まぁ昌浩の場合は血であるが、類稀な、というか希少、数奇な運命を持った魂の持ち主である。
冥府のものは現世の魂に手を出してはいけない。それがどんな運命を持っていたとしても・・・・・
「過酷ですわね・・・・・」
はそう呟いた。
は荒れ果てた墓地の中へはいって行った。お参りに訪れるものは彼女以外いないのであろう、いたるところに荒れた墓石が不気味に並んで立っている。は最奥にある二つの墓石へと足を向けた。
そこだけが唯一整えられているのだ。誰かが頻繁に訪れている証拠である。
はその墓石の前に立ち、花を新しくして水を入れ替えた。その作業を終えると墓石の前に座り込む。
「元気そうですね、父さん、母さん」
応える声はない。
「いい加減成仏してくださいよ。燎琉が迷惑していますよ。私はこの通り大丈夫ですから。
信じていないんですか、自分たちの娘を・・・・・小野と橘最後の人間を・・・・・・」
は胸元から組みひもに通された紅い石を取り出した。
「燎琉から聞きましたよ。河を渡ったはいいけど、そこから中々動こうとはしないって・・・・・・私を探そうとしているんでしょうけど無駄ですよ・・・・
死者であるあなたたちに生者である私の姿は見えません・・・・・・それに・・・・少しは私のことも考えてくださいよ。
こっちからはあなたたちの姿が見えるんですから・・・・・辛くないって思ってるんだろうけどそれは間違いです。
いつだって胸が引き裂かれそうな想いをしているんですよ・・・・・・・」
空がにわかに曇り始めた。
「私は小野、橘両家の跡取りとして最高の道を選ぶつもりです。二つの家のためにならすべてを我慢しても
脂ぎった中年金持ち親父のもとへ嫁ぐ覚悟だってできてます。だからどうか成仏してください・・・・残された私の気持ちも考えてくださいよ・・・・・・・
あなたたちはいつだって身勝手だったんでしょう?私を置いて母さんの命を絶ってそして自分の命も絶って・・・・
あとに残されるほうの気持ちなんか何もわかっちゃいない・・・死んだあと、少しは私の想いも感じてください!」
ぽつぽつと雨が降り出し始めた。は紅い石を握り締める。
「わからずや・・・・・・今だって苦しいんですよ・・・・・・・・声をかけられないのが、会って抱きしめられないのが・・・・でもあなたたちはもう死んだんです。
だからさっさと成仏して輪廻転生の環に入ってください!!」
雨は急激にその強さを増した。の手の中で石がはじける音がした。
「・・・・・・・馬鹿ですか・・・・・・・・本当に」
そっと弓狩が背後から狩り衣をかけた。の肩は僅かに震えている。彼女にとってこれを言うことはどれほどの苦痛を与えたのだろうと弓狩は思った。
両親が死んでから親の愛情を知らなかった娘。安倍家に来てやっと・・・・・・やっと本当の愛を知れた。
そして冥官になったとき、燎琉から知らされたのは両親のこと。三途の川を渡りきったにもかかわらず動かなかったのだ。まるで後から来る誰かを待つように・・・・・・
今日までは必死で二人を輪廻の環の中へ入れようと奮闘していた。そして今日やっと二人は・・・・・・・
「様・・・・・・」
「弓狩・・・・・・・人って自分勝手なんだよ・・・・・他人のことなんかこれっぽっちも考えてないんだ・・・・・・・」
「もう泣かないでください。安倍家へ戻りましょう。このままここにいてはお風邪を召されます」
は無言でうなずいた。弓狩はの体を抱き上げると安倍家へ向かって走り始めた。
はビショ濡れになって帰ってきたに眼を見開いた。昌浩の母である露樹も驚いたような顔をしている。
「・・・・・・」
乾いた布で体を拭いてやりながらはそっと声を掛けた。俯いた顔、濡れた前髪から雨が落ちる。
雨粒とはまた別のものも落ちていた。
「辛かったでしょう?頑張りましたね・・・・・・その言葉では足りないかもしれませんが・・・・・・」
は自分が濡れるのもかまわずを抱きしめた。
「泣いて・・・・・いいのですよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
はにしがみついて泣き始めた。ずっと堪えていたものがとまることを知らないかのようにあふれ出してくる。
も時折小さく鼻をすすりながらの背を撫でていた。
「は優しいのですから・・・・私になんでも話してくださいね」
「・・・・・・」
「大丈夫。私達はいつでもあなたのそばにいますよ」
「うん・・・・・・」
「大丈夫です。昌浩も父上も皆あなたのことが大好きですからね」
「うん・・・・・・っ」
「だからゆっくりと休んでください」
の言葉にはただただうなずくことしかできなかった。
いつの間にかあんなに降っていた雨はやみ、太陽が顔を出している。
それはこれから起こる事を予期しているかのように・・・・・・
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