「・・・・・・はっ?」

ありえない。
と、は思ってしまった。


「道長様。このような場所まで・・・・如何なる用向きで?」

突然としてを訪ねてきた道長に彼は尋ねた。

「うむ。帝がお前と話したい、と。それと“彰子”も・・・・」
「かしこまりました。すぐに支度してまいります」
“なんだ、帝からの呼び出しか?ずいぶんと久しいな”
「だね」

足元の螢斗とそう言葉を交わしながら梓はちゃっちゃと片付ける。
このクソ忙しい時に、彰子はともかく、帝はなんの用だ、と考える。
必要のない用事だったら、適当な理由をでっち上げてさっさと退出するべきだ。
それでなくとも今は人手が足りないのだから。

「まずは帝からだね・・・・はぁ、めんど」

そんなことをぼやきつつも、一応は帝の手前。
表向きの笑顔を浮かべて、は帝と対面した。

「人払いを」
「・・・・」

はすぐに立ち去ろうかとも考えた。
たいてい帝が人払いを命じる時には梓にとって良くないことの前触れである。

、崩せ」
「お断りします」

即行であった。
これで確定してしまった。帝の話はよくないものだ。

「藤壺様のことでしたら、私にお話なさらないで下さい。ついでに厄介ごとは既にいくつも抱えておりますので、それもいりません」

一息で言い切る。
帝は扇で口元を隠し、目を丸くしていた。
が、やがて笑い出す。

「そうだな。お前が厄介ごとを抱え込まない時は早々ない。だから、できるだけ早くに言っておこうと思ったのだ」
「・・・・嫌な予感がするのですが」
「嫌な予感は当たるぞ?」
「・・・・・・・・そうですね」

帝が扇を開く音が無言の部屋に消えた。

、今一度“”となって藤壺のそばにいてもらいたい」
「・・・・・・はっ?」

たっぷり五つ分の呼吸のあと、の絶叫が響く。

「冗談言わないで下さい!!私が女だと知っているのはこの内裏ではあなたと晴明ぐらいのものですよっ?!それでなくとも、小野は橘の許婚であって、あなたの道具ではありません!というか、後宮で誰かの顔を知っている人間にあったらかなりまずいでしょう?!」

すべての文句を言い切ったは帝をにらみつける。

「だが、行成にも女の姿で会えるぞ」
「それは吹っ切れました。なんだか、色々とあると人間たくましくなるもんですよ」
「簡単だな」
「行成様には少納言殿がおられますからね・・・・それに一応本当の恋人もできましたし」
「それはおめでとう。あとで祝いでも届けさせ「結構です」

話が脱線していくことを感じたは頭を抑える。

「で、帝。何故を藤壺様に?」
「私は定子のそばにいたい。あれも体が弱い。いつまで持つか・・・」
「・・・・・弱気」
「五月蝿い」
「それでも私はにはなれません。残念ですが、橘分家が色々動いてるんで」
「なに」

帝の声が剣を帯びた。ちなみにのせいではない。
断じて違うと言い張る。

「小野は病死したことになっています。ちなみに許婚が病死しても出仕してくる橘は非情な男と思われているようですが、一応の実害もないので放ってあります」
「いいのか」
「はい。が病死したことは行成様もご存知でしょうし。というわけで後宮行きの件はなしですね」
、私は時々お前がわからなくなるよ」
「奇遇ですね。私も私がわからなくなるときがありますよ」
「ふざけて言っているわけでは」

は微笑んだ。
わかっている。帝は心配してくれているのだ。

「後宮に入るというお話、受けることはできませんが、藤壺様はお守りいたします。それが私の役目ですから」
「・・・・・すまぬな」
「いいえ。帝、私はあなた様に助けられたことが幾度もありますから。・・・・・助けたこともありましたが」
「あぁ。無断で外に出たときだな。あの時は本当死を覚悟した。だが、お前が間一髪で助けにきたのだったな。まだ少女だった」
「あのときは私も若かった・・・・・まさか帝とは知らず、あそこまで啖呵をきるなど・・・・」

思い出したくもない出来事だ。
自分でぶり返しておきながら、何をしているんだ。
帝はおかしそうに笑う。

「そうだな。その翌日、目の前にやって来た少年が前日私の命を救ったものだと気がついた時には驚いた。まさか、人間がここまで化けるとは、と」
「・・・・・・そこですか」

のほうとて驚いた。
前日啖呵を切った青年が、目の前にいる帝だとは知らなかったのだ。
絶句するに帝は告げた。

「面白い」
「・・・・本当に面白がってましたね。あのあと、式神どもに呆れられた顔をされましたよ」
「絶句したお前の顔もよかった。また見られることを願うよ」
「絶対にいやです」

死んでもみせるものか、とは誓った。
この非常にどこかあの閻羅王太子と似通った青年の前では弱点を見つけられたくないのだ。
というか、見つけられたらさいご何をされるかわかったものではない。

「お前も無理をするな。そのままでは本当に行き遅れるぞ?」
「それはそれで結構です」
「あぁ、やはり私がお前と娶っておけばよかったな」
「それも結構です」
「何故だ?お前ならば、後宮でなくとも別の場所に邸くらいは」
「帝、男であらせられるあなたにはわからないでしょうが、後宮という場所には女の恨みというものがたまりにたまって、山となっているのですよ。そこにいられるものですか」

帝はの言葉にしばし考えるそぶりを見せた。
やがてぱしっと扇で手を打つと楽しそうに言った。

「お前の根気が見られるな」
「楽しそうに言わないで下さい!」

もはや悲鳴に近い叫びになっている。
そんな楽しみのために精神を削れるものか。

「私はこれで失礼します。帝、私をからかいたいがために呼び出すのはこれからご遠慮くださいませ。あなたのせいで私の仕事は倍増しているのですから」
「出世しやすく「私は出世には興味ありませんから」」

は帝の言葉を途中で遮るとさっさとその前を辞して、藤壺のもとにむかう。
どうせ藤壺の用事もたいしたことないのだろう。相手をするのはいささか面倒に感じるが、それは仕方がない。
少しでも彼女の不安を取り除いてあげることしか、にはできないのだから。

「ほら、翡乃斗、螢斗、行くよ」

徒人には見えないの相棒たちがかけてくる。
まだ何も終わってない。
章子も彰子も晴明も昌浩も、誰も救えていない。
死なせてはいけない者達。この国にとって、梓にとって、何にも変えがたい大切な存在。

「二人とも力を貸して。私は、まだ戦わなきゃいけない」
“わかっている”
「我らはお前を助けるためにいるのだから」

二匹の言葉には笑みを浮かべた。

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