久し振りの出仕だ。
そして晴明は今いない。
足すと、つまりは、忙しい。
しかも暦部署から「博士が抜け出した」というものばかりがやってきて・・・・・・・

「成親・・・・・・」

螢斗の耳がピクンと立った。
の体から怒気が立ちのぼっている。これは抑えておかないと後々大変なことになる。
何か、というか物の怪に八つ当たりしかねないのだ。

「ちょっと出てくる」

さてどうしたものか、と考えているうちにはどたどたとあらあらしく、部屋を出て行ってしまったではないか。
溜息をつくと螢斗はあとを追う。こういう場合、主の姿を取って代わりに仕事をしておくべきなのだろうが・・・・・
さすがに部屋の床一面を埋め、さらにいくつも積みあがっている紙の束を整理する気にはなれない。
ふと前を歩くから視線を外せば、物の怪と神将が舌戦を繰り広げている。物の怪はいつものこととして、神将は六合ではないか。
珍しいものだ、と螢斗は考えた。無口な神将なのに。

"、昌浩だ"
「ん?」

は足を止め、螢斗が指し示す方向を見やった。
昌浩が呆然と突っ立っている。

「昌浩?」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・聞くまでも無いと思うが、何があった?」
「・・・・・・・・・・」
「えせ陰陽生までに、からかわれたんだよ」

えせ陰陽生=敏次なのだが、そこはあえて訂正しないで置く。
は軽く目をぱちくりとさせると言った。

「何を今更」
「・・・・・・・・・・」
、とどめを刺しているが≫

穏形しているのであろう六合が言った。
はそちらへ視線をむけ、首をかしげた。

「だってつまりは彰子が邸にいるってことを知られたんでしょ?」
「なんだ知っているのか」
「何度も耳にしているよ。どっかの誰かさんが言ったみたいだね」
"いや、成親はただ誤解を招かないようにと配慮したらしいぞ"
「う〜む、配慮されているのかどうか」
"そのへんは疑問だな"

昌浩はじとっと螢斗をにらんだ。

≪そういえば、はどこかへ行く途中じゃなかったのか≫
「あ〜うん。ちょっくら中宮様のところまで」
「・・・・・・・・・こんなところにいてもいいのか?」
「だめだろうね。いや、でも、昌浩を見つけたからちょっと腹いせに」
・・・・・俺に八つ当たりはやめてよ」
「はいはい。じゃぁ仕事頑張れ。あっ私今日は遅くなるだろうからって露樹様に言っておいて」

はそう言うととっとと土御門殿にむかう。
女房に名を告げると真っ直ぐ中宮のもとに通された。

「お初にお目にかかります、中宮様。陰陽頭橘と申します」
「あなたが父上から頼まれた陰陽師・・・・・・?」
「はい。あなた付きの陰陽師としてあなたをお守りせよ、と道長様は仰せられております」
・・・・あなたは、小さな陰陽師を知っていますか」

は中宮の言葉にきょとんと首をかしげた。
はて、小さな陰陽師とな。
螢斗のほうがそれに気がついたのか、小さく言った。

"昌浩か・・・・・・"

その名で確かにとはうなずいてしまう。確かに小さい。半人前だから。

「はい。安倍昌浩、直丁にございます。彼がなにか・・・・・・」
「いえ・・・・・・・」
「中宮?」

中宮はお付きの女房たちに何かを命じたらしく、女房たちが退出していく。
その場にはと中宮のみが残った。

「教えてください、。彼は・・・彼は誰を守っているのですか」

今度こそ何を言っているのかわからない。
ただただ首を傾げるばかりである。

「あの人は守ると言ってくれた・・・・・・私を・・・・・・・『彰子』を」
「彰子・・・・・・・・」
「教えてください・・・・・・・何故、何故・・・・・・・・・」

は言葉を捜しあぐねた。
何故昌浩が彰子を守っているのか。簡単だ。"傷つけたくないから"そして大切な人だから。本人は無意識だが・・
だがきっと中宮にそれを言っても聞かないような気がする。それになにより、はこの哀れな少女を傷つけたくはなかった。
本当の名前を呼ばれず、一生"彰子"として生きていく運命のこの少女を・・・・・

「中宮、それは私には答えかねます。本人にお聞きください」
「そう・・・・・・・そうね」
「それでは私はこれで失礼いたします」
、待って」
「中宮?」

は中宮の声に足を止め、振り向いた。

「いかがなさいました?」
「あなたは父上から話を聞いているのでしょう?」
「なんのことでございましょう」
「私のことを・・・・・」
「・・・・・・・・中宮、あなたは"彰子"様です」
「違う・・・違う・・・・・私は・・・・・・」

中宮は御簾のむこうで首を振った。
は黙って中宮を見た。

「中宮・・・・・・私はこれで失礼します」
・・・・・・」

は中宮のことを振り返らずして、戻った。
螢斗がを見上げる。

"いいのか"
「ここで甘やかしちゃいけない」

は螢斗を見下ろした。

「中宮はこれから"彰子"として生きていく。"章子"はどこにもいない。生まれていないんだ」

螢斗は溜息をついた。
はすたすたと歩いて直丁のいるであろう部屋にむかった。

「あぁ敏次殿、ちょうどよかった。昌浩殿はどこにいる?」
殿・・・昌浩殿ですか?」
「あぁ」
「すぐに戻ってくると思いますが・・・・・あぁほら」

敏次の指し示すほうに昌浩が歩いていた。は軽く礼を言うと昌浩のもとへむかっていった。

「昌浩殿」
殿・・・・いったいなにが・・・・・・・・」
「顔がかなり怖いぞ、

の足元で踏み潰された物の怪が、ぶぎゃっ、と声をあげる。
昌浩はそれを引き攣った笑みで見ていた。

「昌浩、いつ中宮と会った?」
「えっ」
「中宮が昌浩のことを知っていた。また、面倒ごとを起こしてくれたようね」

まったく次から次へと面倒ごとを、と呟いているのは螢斗だったりする。
は式神を見下ろしてから、昌浩に顔を近づけた。

「昌浩、あの中宮、しつこいわよ」
「えっ?」
「面倒だとは思うけど、気をつけなさい」
、それどういう・・・」
「女の勘ってやつよ」

昌浩から離れたは呟いた。

「彰子と章子・・・・そっくりだってことも考え物ね」
"昌浩のことか"
「女の勘ってのは外れないのよ」
の勘はいつも外れないな」
「・・・・二人のことで問題が起こらないといいとは思うわ。でも」
"箱庭で育った姫には難しいことだな。それが藤原の一人であれば、なおさらだ"

螢斗と翡乃斗が同意する。
は溜息をついた。女であるが、女の争いに巻き込まれたくはないである。

「きっとそうも言ってられないんだろうけどね・・・」

再度溜息をついたは自室に戻って仕事を再開したのであった。
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