の手から書簡がばさりと音を立てて落ちた。
「梓殿?」
陰陽生がいぶかしげにの顔をのぞき見る。
「今、なんと・・・・・?」
「ですから、藤原行成様が怨霊に祟られて病に臥されたと・・・・・」
「行成様が・・・・?」
の顔色が悪かった。陰陽生は無理もないと思う。何せ彼は行成がよく面倒を見ていたからだ。
陰陽生が帰ったのち、は翡乃斗と顔を合わせた。
「翡乃斗、頼みがあるんだけど・・・・」
「別にいいぞ」
「ありがと」
は微笑むと優しく翡乃斗の頭に手を置いた。
昌浩と物の怪は藤原行成の邸にいた。ちょうど敏次もいたのだが、先ほど帰ってしまった。
昌浩は行成から敏次が何故自分に辛く当たるのかということを聞いた。
ふともう一人客人がやってくる。
「・・・・」
「殿」
「すみません。行成様がお倒れになられたと聞きまして・・・・・・・・少しまだ瘴気が残っていますね」
は部屋を見回して呟いた。
「この声は我が声にあらじ。この声は神の声。まがものよ、禍者よ、呪いの息を打ち祓う、この息は神の御息。この身を縛る禍つ鎖を打ち砕く、呪いの息を打ち破る神の剣。禍気に誘うものは、利剣を抜き放ち打ち祓うものなり!」
にしては凄烈な気が部屋に漂っていた瘴気を一掃する。昌浩と物の怪は目を見張った。
行成がほぉっと息をつく。
「さすがは橘家の・・・・・」
「お褒めに預かり恐縮です」
「いったい・・・・・・・!?」
物の怪はの後ろを見て仰天した。黒い尾がはえている。その視線を感じたのか、は小さく笑みを浮かべた。
「おま・・・・・・もしかしてもしかしなくとも、・・・・・翡乃斗か?!」
「?!!」
傍らで物の怪の声を聞いていた昌浩も仰天する。行成は驚いた顔の昌浩を見て首をかしげた。
「どうかしたのかい」
「いっいえ・・・・」
「昌浩殿、疲れているのでしょう。私もそろそろ辞するから一緒に行こうか」
「はっはぁ・・・・・・」
はにっこりと笑って言う。と一人の女房がやって来た。
「行成様、小野家の姫君がいらっしゃいました」
「小野家の・・・・・姫か!!」
昌浩と物の怪はさらに愕然とした。もう既に何がなんだかわからない。
「・・・・・・これは・・・・・」
やってきたのは美しい姫・・・・・・・そうだった。
は満足そうにうなずく。普段は髪が短いから、長くしたのは恐らく付け毛だろう。にしても・・・・・・
あまりの美しさに昌浩は見惚れた。はそんな昌浩の腕を取って立ち上がる。
入れ違いになるようにしてが行成のもとに膝をついた。
「それでは行成様、私たちはこれで失礼します」
二人と一匹は行成の邸から出て行く。が、行成はそんなことを聞いてはいなかった。目の前に姫に見惚れていたのだ。
「お久し振りです、行成様。突然のご訪問お許しくださいませ」
「いっいや・・・・」
「行成様には助けられてから何もお礼ができず・・・・・・・」
「そんなことはないよ。あの時、歌ってくれた歌だけで十分だ」
「・・・・・・・・それで行成様が病に臥されたと兄上から聞いたのでこうしてまいったのですが・・・・・・やはりお加減が悪いのですか」
行成はに心配を掛けさせまいとしているのか首を振った。
「・・・・・・・そういえば、兄上、とはどういうことなのかな。内裏では君たち二人は許婚と聞いているが・・・」
「あら、兄上ったらそんなことを?いえ、私たちは親戚なのですわ。私の父が橘の出だったのです。求婚者が絶えない私のために兄上はきっとそんなことをおっしゃったのですわ」
「求婚者・・・・?」
「はい。私が想うのは唯お一人だけですわ。その方以外とは夫婦になるつもりはありません」
は断固として言った。行成はそっと彼女の頬に手を伸ばした。
「姫に想われる方はさぞや幸せ者だろうね」
「本当に・・・・でも行成様は誤解なされていると思いますわ。私が想うのは・・・・・」
は言いかけてそして視線を下へ落とした。
「きっと叶わぬ恋でしょう・・・・・・私は・・・・・」
は行成を真正面から見つめた。
「あなたを愛していますわ、行成様」
「・・・・・・・姫」
行成は唖然としてそれだけしか言えなかった。は悲しげに微笑む。
「姫・・・・・・姫のお気持ちはよくわかった。私などでいいのかい?」
「あなたがいいのです、行成様。あなた様に命を助けられたあの時から私の想う方は一人だけですわ」
はそっと笑って、美しい歌を奏で始めた。行成はその歌を聴くたびに自分の中に滞っていた黒いものが出ていくのを感じた。
しばらくしてふっと力の抜けた行成を見えないものが後ろから支え、ゆっくりと横たわらせた。
「ありがとう、螢斗」
"、体は大丈夫なのか?"
「うんなんとか・・・・・」
そういうの顔は傍目に見ても分かるほど青ざめていた。
どこが大丈夫なんだと思いながら螢斗はの痛みを解消させるべく、呪を唱えた。柔らかい光がを包み込む。
はほぅっと溜息をつくと微笑んだ。
「ありがとう。じゃぁ帰ろうか」
「あぁ」
は最後に眠る行成の頬に触れた。螢斗は主から顔を背けた。なんとなくそうしたほうがいいと思ったのだ。
は心の内でそっと螢斗に感謝の言葉を述べた。そっと行成に顔を近づけ、触れるだけの接吻をする。
少し涙目になりながらもは微笑んだ。そして立ち上がると涙を拭いて螢斗の背を叩く。
「今度こそ行こう」
螢斗は何も言わずに主に従った。
「翡乃斗がのかっこうをしてるってどういうこと?!」
昌浩とに扮した翡乃斗が行成邸から去ってしばらく。
彼らは黙ったまま歩いていたが、ついに昌浩が我慢できなくなったのかそう尋ねた。
「騒ぐな、昌浩。怪しがられるぞ」
「だが、本当に何故だ?しかもが・・・・あんな・・・・・・普段はしないような格好で」
「頼まれたんだ」
翡乃斗は別になんでもないというふうな顔をして言った。
「頼まれた?」
「あぁ。行成を助けたい。それにはどうしてもあの呪を使う必要があるから私、つまりに成り代わってくれといわれた」
「あの呪ってのはなんだ?」
「だけが仕える特別な呪だ。言霊にのせて瘴気を祓うことができる。言霊の内容によっては自分自身の体に瘴気を移すこともできる」
「へぇ・・・・すごいな、って」
「お褒めの言葉をありがとう、昌浩」
クスクスと笑いを含んだ声が昌浩の背後から聞こえてきた。昌浩は驚いて振り向く。
そこには少し青ざめた顔をしたがいた。
「!ひどく顔色悪いよ。大丈夫?」
「うん?大丈夫だよ・・・・・・・・・」
は弱々しく微笑んだ。梓もとい翡乃斗が近寄って行く。頬に触れると彼女が疲れていることがわかった。
「帰ろう?」
「うん。行こう、昌浩・・・・行成様ならしばらくは大丈夫・・・・」
「そう・・・・・・・えとご苦労様、」
「ううん」
は昌浩と歩き始めた。昌浩は隣を歩くを少しだけまぶしそうに見上げたのだった。
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