は苦笑気味だった。傍らの人外の化生二人が呆れたように様子を見ている。
の肩に乗っている白い物の怪が溜息をついた。
「・・・・・・だってそうじゃないか」
「ん〜〜まぁそうなんだろうね」
苦虫を数十匹噛み潰したような顔で昌浩はうなった。彼に応じる物の怪はしかめつらしい顔でうんうんとうなずく。
「そりゃぁね、俺はほほ毎晩都の安寧のために、夜もとっぷりふけた丑の刻に邸を出て歩き回ってるさ。はたから見たら、もしかしなくても自由気ままな真夜中の散歩だろうよ」
昌浩の目の前に降り立った物の怪が前足を器用に振る。
「いやいや、ここにいるやつらはみーんな、お前が一生懸命やっているってことを知っているぞ」
そうだそうだ、と幾重もの合いの手が入る。の視線の先を追えば、そこは昌浩の頭の上。
"、帰るか"
化生の片方が呆れたように言った。
「いやいやいや、それはさすがに・・・・・」
に尋ねたのは彼女の右隣に立つ青年だった。美しい黒髪は地に着くほど長く、黄金色の瞳が闇をはじくように光った。
闇に溶け込むほど黒い服だった。一枚布でそれを体全体に巻きつけているのだ。肩から腰のあたりに掛けて紺色の布がかけられている。
と彼が会話しているうちに昌浩たちの会話も進んでいく。
「だったらとっととどきやがれ――――!!!」
昌浩の怒号が夜の都に響いた。化生の片方、の左隣に立つ青年―黒髪に翡翠色の瞳を持つほうが溜息をこぼした。
こちらも黒い服だった。肩には淡い青色の布を巻きつけている。
「こらこら・・・・・・」
は彼の肩に手を置きながら、溜息なんかついちゃいけないよと言う。が、その口もとは引きつっていた。本当は彼女も笑いたくて仕方がないのだ。
評判の一日一潰れ。昌浩が夜警に出ると、彼が来るのを待っていた雑鬼たちによって潰されるのだ。それが今では恒例となっている。
二人の化生も笑みをひとつこぼすと、瞬きひとつの間に小さな姿へと転じた。
光と闇とつかさどる神がこの二人である。螢斗、翡乃斗、それが彼らの今の名だった。
本当は別に名もあるのだが、につけてもらった名のほうが気に入っているため最近はほとんどそれで通している。
おや、とは築地塀に視線を向けた。何者かの霊力を感じたためにだ。見れば昌浩は頬を引きつらせている。
「ひっさしぶりだなぁ!!」
そう声をあげたのは昌浩の頭に載って彼の顔を覗き込んでいた竜の姿をした雑鬼だった。彼と何匹かの雑鬼は築地塀のほうへ掛けていく。
築地塀の上には一人の青年がいた。涼しい笑みを浮かべていた青年は白い物の怪の傍ら、何もないはずの空間に視線を投じると言った。
「仕方がないから、掘り出してやれ」
と長身の影が音もなく顕現した。
夜色の長布を肩に巻きつけ、鳶色の長い髪を腰の辺りでひとつにくくった青年。長布のしたには異国の甲冑に似通った衣装をまとう。
黄褐色の透きとおる瞳は感情をあまり映さない。右目の下にあざのような黒い模様があり、それが精悍な顔立ちにより強い印象を植え付ける。
十二神将、六合だ。
彼は雑鬼の山に手をつっこむと昌浩の襟足を無造作につかんでひょいと引き出した。
「で、あなたは何をしにきたの?」
「いや評判の潰れを見ておこうと思ったのと、たまには孫と一緒に夜警もいいと思ったからだ」
「本当にそれだけ?」
「それだけさ」
青年は体重を感じさせない動きで築地塀から飛び降りた。彼の傍らに二つの神気をは感じた。
六合と同じ十二神将だ。これは天一と玄武だろう。
「評判なんていわないでください、オレ迷惑しているんですよ、じい様」
昌浩は二十歳前後の姿をしている青年にむかって当たり前のように「じい様」と呼びかける。
は苦笑して青年の肩をぽんと叩いた。よりも頭ひとつ分ほど背が高い。
「にも迷惑をかけるね」
「いえいえとんでもない。面白いものが見られるからね、晴明」
晴明・・・・・・「稀代の大陰陽師」と呼ばれる安倍晴明。昌浩の正真正銘の祖父だ。
ちなみにの居候先の主でもある。
「だったら隙を見せないようにするんだな」
はニコニコと笑って二人のやりとりを見ていた。この二人がそろうと中々面白いものが見られるのだ。
だから昌浩のそばから離れない。二人の式神がそろって溜息をついた。
「相変わらず晴明は孫いびりが好きだな」
「失敬な。これは楽しみが少ない年寄りの唯一の気晴らしになるんだ」
"孫で気晴らしするなよ"
「ごもっともな発言ありがとう、螢斗。でもも時々やってるよ」
「やってたかしら〜〜〜」
うふふふ〜と普段はしないような笑いをしながらは顔を背けた。
昌浩はぷんっと頬を膨らませた。
と晴明が突然あらぬ方向へ視線を投じた。僅かに遅れて神将、物の怪と翡乃斗、螢斗が二人と同じほうを見る。
さらに一呼吸置いて昌浩が気がついたように顔をあげた。
「遅いぞ(よ)」
二人分の声が綺麗に重なる。
の腰元からちゃきりという唾鳴りがした。腰に下げた「狭霧丸」をいつでも抜けるようにしたのだ。
螢斗、翡乃斗の体から神将にも劣らぬ、否、それ以上の神気が膨れ上がった。
「・・・・・・・鱗がすれるような音だわ・・・・・・」
「蛇、だな」
とは背後に雑鬼たちが隠れたことに気がつく。
「・・・・・・・・・・・・・」
は黙ったまま彼らを見下ろした。彼らはにまっと笑う。
「・・・・・・・・要領のいいやつら」
昌浩がそういうのが聞こえた。まぁそういうやつらなんだよ、と応じる物の怪の声も聞こえる。
確かにそうか、と思うとは正面をむいた。一歩踏み出し昌浩に並ぶ。昌浩の両隣には六合とあの白い物の怪が変じた姿―十二神将がひとり、騰蛇がいた。
の左右には翡乃斗と螢斗がいる。
「・・・・・・・・・・」
「大蛇!」
それは胴回りが一丈を超えようかという大蛇だった。全長は闇に溶けて判断できないが、くわりと開いたあぎとに太刀の様な牙が具わり、水銀の色をした眼に瞳はなかった。
全体を覆う鱗はその一枚一枚が昌浩の顔よりも大きい。
大蛇は一定の距離をとって止まると昌浩を威嚇しているのかしゅうしゅうと奇妙な音を立てた。
しばらく大蛇を凝視して妖力を測っていた騰蛇が肩の力を抜いた。
「・・・・・・随分唐突な登場だな」
「異形の出現は、常に何の予兆もないものだ」
「しばらく静かなものだったが・・・・」
"異邦の脅威が消えたことで、安全だと判断し出てきたのだろう"
螢斗の言葉に式神たちはなるほど、とうなずいた。
「今まで異邦の影に脅え隠れていた類の化け物どもが、今度は自分の力を誇示しようとしているのだろう」
"随分安易な考え方だ"
「実際問題、この程度の妖怪では窮奇の影も踏めないだろう」
「それは言えている」
「見てくれはそれなりだがな」
"確かに。だが所詮それなりはそれなりだ"
と昌浩、双方の頭上でどこか緊張感に欠けた会話がなされる。しばらく堪えていた二人だったが、耐え切れなくなったのか互いに式神を睨みつける。
「少しは黙っててくれ(黙れ)!」
四人は言われたとおりに黙る。
彼らの会話を聞いていた晴明は笑いをかみ殺していた。
瞬間大蛇は大きく伸び上がり、昌浩を頭から飲み込もうとしたのか大きくあぎとを開く。今まさに昌浩を飲み込もうと襲い掛かってきた大蛇。
その口腔に突如生じた真紅の炎蛇が突き刺さった。が体勢を低くし、大蛇にむかって駆け出す。
炎蛇の光に照らされ狭霧丸の刀身が橙色に輝く。
「はぁっ!!」
は大蛇の胴を深く切り裂いた。真っ赤な飛沫がにむかって飛び散るが、螢斗が肩に巻いていた青い布をバッと伸ばすとそれがすべての飛沫をはじいた。
「ありがと、螢斗」
「あぁ」
騰蛇が放った炎蛇は大蛇を内側から焼いていく。
昌浩は大きく息を吸い込み、呪を唱え始めた。迸る霊力が大蛇を拘束する。
は狭霧丸についた血糊を拭き取りながらもとの場所へ歩いてくる。
「もういいのか?」
「うん満足。あとは昌浩に任せるわ」
「臨める兵闘う者、皆陣列れて前に在り!」
詠唱とともに昌浩は、右手の刀印を振り下ろす。放たれた不可視の刃は大蛇に叩きつけられ、長大な妖怪は一度身を大きくよじらせると、一瞬ではじけた。
それを安全圏で見物していた雑鬼たちが歓声をあげる。
「やった!」
「朝飯前だな!」
「次は式神の力を借りずにやれよ」
「そーだそーだ、じりじり前進!」
「頑張れよ、孫。それに冥官」
「孫言うな!」
「私もですか・・・・・」
言いたい放題の雑鬼たちに呆れながら、は視界の隅を銀色のものが掠めたのを認めた。
昌浩とほぼ同時に頭上を振り仰ぐ。大蛇の全身を覆っていた銀色の鱗が四方に飛び散っている。昌浩とはとっさに手をかざしたがそれだけでよけれきれるものではない。
と突如全員と闇が包んだ。銀色の鱗が一切遮断される。は傍らに立つ式神を見上げた。
「ありがと、翡乃斗」
「いや・・」
翡乃斗は螢斗と視線を交わす。螢斗はうなずいた。また唐突に闇が晴れる。闇を司る翡乃斗が彼らの周りだけ闇を濃くし、何者も入ってこれないような絶対の結界を張ったのだ。
「ありがとう、翡乃斗」
「お前はのついでだ・・・・・・・・・なんてな。冗談だ」
絶対冗談じゃない、と昌浩と騰蛇は思った。
晴明は昌浩のところに近寄るとその頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「いた・・・・・ちょっとなんですか、じい様」
「いや、形のよい頭だと思ってな」
「理由になってませんって」
しばらく昌浩の抗議も無視して頭を撫でていた晴明だったが満足したのか、手を放した。は僅かに目を細める。
「さっこんなところで道草くってないで夜警に戻れ」
「別にくいたくてくってるわけじゃないですよ」
「つべこべ言わずにさぁ」
昌浩と物の怪の姿に戻った騰蛇は闇の中に消えていく。晴明は意外そうな顔をして、残ったを見た。
は黙ったまま足元の雑鬼達を見る。
「さっさとねぐらへ戻れ。これ以上ここにいるのであれば問答無用で狭霧丸の露にしてくれるが・・・・・・・」
「おうわかった。じゃぁな、まったなぁ晴明」
は少しむっとした。式神たちが彼女を慰めるかのようにポンと肩を叩いた。
は軽くその手をはらうと晴明を見た。
「右手のものを出して」
「・・・・・・」
晴明は無言で右手を開いた。そこにあったのはあの大蛇の銀色の瞳のカケラだった。
禍々しい力を内に宿し、時折身じろぐ。
手をひるがえすとそれは地に落ちた。そのまま逃れようとするのか這って行くが、風を切り裂くような音がしてそれに二つの槍が突き刺さっていた。
白銀の槍を六合が握り、金色の槍を螢斗が握っていた。
表情があまり映らない二人の瞳に剣呑なものが宿っていた。
「―――気づいていたか」
「騰蛇も気がついてるわ。気がついてないのは昌浩だけ。まぁ仕方ないことなんだけどね・・・・・」
連日の戦いで一時的に彼の霊力は削られている。時が経てば自然に戻るものだが、それまではいささか危険が付きまとう。だからと六合が彼についたのだ。
「西方で墓が暴かれたようじゃ・・・・・・すまんが、六合。今しばらくは」
「わかってる」
二人はうなずくと闇に姿を消した。に付き従う二人の神も一緒に。
「・・・・・朱雀、白虎。不穏な動きがいずこかで生じている。つきとめよ」
≪御意≫
二つの声が晴明の命令に答え、そして神気が消えた。晴明は軽く溜息をつく。
まだ気の休まるときはこなさそうだ。
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