家々の屋根の上に三つの影があった。
長い黒髪が風に遊ばれている。
“よいのですか、燎流様のもとにいなくて”
「いいのよ。あの方は私がいたら仕事に手がつかなくなるでしょうから」
闇から聞こえてくる声があった。
“しかし何故もう既に死んでしまったあなたが今更?”
「緋乃、私は甥を助けたいの」
“ですが、あなたの弟君でさえもあなたのことをご存知ではないはず”
「そうね。あの子達が産まれる前に私が死んだのだから・・・・・それに都合がいいわ」
月明かりが彼らを照らした。一人は髪の長い女だ。薄闇色の衣に身を包んで、その口元には笑みが浮かぶ。
二人は男だった。真っ赤な、燃える炎のような色の髪。頭部にはほっそりとした二本の角がはえていた。
もう一人は銀の髪をした、男。こちらもまた二本の角がはえている。二人の瞳の色はわからない。
なぜなら顔の半分を隠す仮面をつけているからだった。
「緋乃、弓狩、行きましょう。あの子の運命を私は見届けなければならない。私の代わりに力を持った父上の跡継ぎの・・・・・・」
安倍晴明は顔をあげた。
「もうそろそろか・・・・・・・」
一人目の子供が逝ってからもう何年が経つのだろう。
安倍の一族で彼女がいたことを知るのは、自分と妻である若菜だけだ。殆どの者はその存在さえ知らないだろう。
強い力にその華奢な体は耐え切れず、壊れてしまった。あの子供は最期、悲しそうに笑って逝った。
「・・・・・・・・・・・・・成長していたら、さぞ美しい娘になっていただろうに・・・・・」
ふと結界の中に誰かが入ってきたことに気がついた。
安倍家の周りにはよからぬものが入り込まないようにと、結界が張られている。妖ならば入ることは出来ないはずだ。
気配を探って晴明は僅かに瞠目した。知りすぎた気配がする。しかし何故ここに?
「お久し振りです、父様」
現われたのは女。だけではない。あと二つの気配がする。しかし晴明の見鬼の才をもってしてもわからない。
しかし晴明は残り二つの気配などどうでもよかった。気になったのは女だ。
「・・・・・・若菜・・・・・・?」
女はその名を聞くと小さく笑みを漏らした。
「違います。私は・・・・・・・です」
そう呟かれた名で晴明の脳裏に一人目の子供の姿が浮かんだ。
「・・・・・・か?」
「はい」
「何故・・・・・お前がここに」
「あの子を・・・・・・・私のせいで力を持ってしまったあの子を私が見守るために」
晴明の第一子、は淡く微笑んだ。最期の時よりも幾分か成長しているように見える。
晴明はが本物かどうか震える手で頬に触れた。ひんやりとした肌は実体感がある。
「父様、どうか弟たちには内緒に。私は夫と約束したのです。父様以外の人間には正体を知られないようにと」
「・・・・・・・・夫?」
「・・・・・・・・・・・・閻羅王太子さまです」
は頬を染めて言う。晴明は唖然とした。何か今、すごいことを聞いた気がするのは気のせいだろうか。
しかもその言葉をつい最近ごく身近で聞いたような・・・・・・
茫然自失となっている晴明の耳に足音が聞こえてきた。
「晴明、昌浩は無事に大髑髏を調伏したよ。というわけで戻ってきたか・・・・・・・・・・晴明?」
闇色の狩り衣をまとった少女が姿を見せた。中にいる晴明、と順に視線を移して驚く。
「っ!」
少女は始め驚いたようにを見ていたが、やがて嬉しそうに笑った。
「お許しがもらえたんだね?」
「はい。意外と簡単でした」
「だろうね・・・・・・燎流はあなたには甘いから」
「そうでしょうか・・・・・・」
何やら自分のわからない話をしている女二人に晴明は入れない。と、少女のほうが晴明にむきなおった。
「混乱してる?だろうね」
小さく笑みを浮かべながら、少女はへと視線を移した。
「私が<と知り合ったのは冥官になって一年くらい経ったときかな・・・・・・燎流に苦い仙薬を飲まされてのたうちまわりかけてたら、水が差し出されて、それで誰かと思ってみてみたら、だったの。
燎流ったら幸せそうに笑って、私の妻だ、なんて言うのよ、ねぇ」
「えぇ」
「ちょっとツッコミを入れたかったわ・・・・・」
少女はこめかみに指を当てた。は小さく微笑んだ。
「、私は幸せだから・・・・・・・」
「・・・・・あーあ、まったくほれぼれするほど夫婦の仲はいいのよね」
と呼ばれた少女は苦笑した。は晴明をむく。
「父様、そういうわけですから・・・・・・・・・しばらくの間お世話になります」
は丁寧にそう言って頭をさげた。
晴明はもう溜息をつくしかなかった。
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