安倍昌浩が出仕から戻った時、一人の青年が家の前にいた。見慣れた青年である。 「殿」 青年の名を呼ぶと彼は昌浩をむいた。そして笑みを浮かべる。 「よかった。昌浩殿に会えて」 「えっ?」 「私を晴明様のもとへ連れて行ってください。正確にはあの人のお客へ」 「ちょ、殿?」 「昌浩」 「なにさ、もっくん」 「こいつは式だ。主人の姿をした」 物の怪が言うと同時にの姿が消えた。否、消えたのではない。昌浩の手の中に白い紙があった。 あっけに取られる昌浩を尻目に物の怪は屋敷の中へと入っていく。 「あっもっくん、待ってよ」 昌浩は物の怪のあとを追って屋敷の中へと入っていく。 祖父の部屋へむかった昌浩はだんだんと気配が怪しくなっていくのを感じた。妖怪の類ではない。 ここが陰陽師の一家安倍家だと知ってはいってくるわけがないのだ。 「もっくん・・・・・・?」 傍らの物の怪は毛を逆立てていた。昌浩は言い知れぬ不安を感じ、祖父の部屋へと急ぐ。 「じい様!」 「おお、昌浩。どうした?」 昌浩の祖父希代の大陰陽師安倍晴明はにこやかに笑って孫を迎えた。 晴明の目の前、つまり昌浩に背を向ける格好で一人の女がいた。 「あぁ、彼女は殿だ。昌浩、挨拶を」 「・・・・・・・じい様のお客様?」 「そうだ。どうしたのだ、昌浩」 「あっこれ・・・・・殿からあなたへの」 昌浩が文を差し出した。女が振り向く。 昌浩は息をのんだ。女の双眸は紅だったのだ。 「すまない」 女はそう言って文を取った。 そして文を開くと軽く笑んだ。昌浩はどきりとする。女の双眸はいつの間にか漆黒になっている。 「どうかしたかの」 「いや・・・・・・」 文を懐にしまい、女は晴明を見た。 「では約束どおり昌浩は借り受ける」 「じゃが昌浩一人ではちとばかし荷が重いと思うが?」 「闘将が一人つけば問題あるまい。だが本当に助かった。正直私一人では手を持て余していたんだ」 「珍しいの。蛇神とあろうものが手を持て余すなど」 「珍しいものだったんだ。少なくとも私でも見たことがない」 女は昌浩をむいた。 「希代の大陰陽師、安倍晴明の孫だ。力はあるだろう」 「殿・・・・」 「問題ない。いざとなれば昌浩は私が守ろう」 「頼んだ。というわけじゃ昌浩」 「いや、どういうわけなんですか・・・・・」 昌浩はなんとなく嫌な予感を覚えながらたずねる。 「この方が守っておられる聖域に妖が出るそうじゃ。お前、ちょっと行って祓って来い」 やっぱり、と昌浩は意気消沈した。 どうせこうなるのだろうと想っていたからあえて何も言わずうなずいた。が立ち上がり昌浩を見る。 「よろしく頼むな」 「はい」 昌浩とは昌浩の相棒でもある物の怪を伴って安倍家の屋敷を出た。 既に日は傾いていた。