パチパチとどこかで火のはぜる音がする。
冥府第一殿執務室で、閻羅王太子燎流は眼を開けた。ガラにもなく眠っていたらしい。
少しだけ、何かを期待しながら。
「馬鹿げている・・・・・は今、上にいるというのに」
溜息をつきつつ、仕事を再開させる。
「・・・・・・・何事にも息抜きは必要だな」
燎流は立ち上がるととことこと早足で自室へとむかっていった。卓上に置かれている水盆に手をかざし、霊力を流し込む。
水面が揺らめき、水に安倍家の様子が映った。
「はっと・・・・・・おぉそうか、は出仕しているとか言っていたな。ではは・・・・・・」
愛しい彼の妻は部屋で式盤をにらめっこをしていた。その様子が微笑ましくて、つい燎流は笑みを浮かべてしまった。
ふと彼女が顔をあげた。燎流を目があう―とは言っても見えるわけがない。は軽く首をかしげるとまた式盤とにらみあいを始めた。
「何を探っているんだ?」
燎流はそう呟いた。彼女は柔和な顔を少し固くして式盤を見ている。
「・・・・・火の音?」
燎流は首をかしげた。そのときは立ち上がって縁側へ出た。内裏の方向を見ている。
灰色の煙があがっていた。がその煙を見た瞬間彼女が膝をつく。
「!?」
は身をひるがえすと邸から出て行った。恐らくはこちらにむかっているのだろう。
燎流は急ぎ映像を内裏のほうへ変えた。
煙があがっていたのは内裏ではなかった。一瞬の姿も見えた気がしたが、それは放っておく。煙があがっていたのは後宮だった。
「・・・・・・小さな雑鬼が放った火・・・・・仲間達への警告のつもりでか・・・・・」
「燎流様!!」
そう執務室から声がした。燎流は自室から執務室へと戻る。妻、がそこにはいた。
「燎流様、後宮が火事で・・・・・きっと多くの魂がさまよいますわ」
「、少し落ち着いて」
「でも内裏には昌浩と甥や弟、もいますわ」
「もあの少年も大丈夫だ。それよりも今は冥府の混乱を避けなければ。、すぐに上へ戻るか?」
「はい。たちの無事を確認したいので」
「わかった」
燎流はそう言うと混乱する魂たちを静めるために足早に歩いて行った。
その場に残ったは夫の背を見送ると上へと戻って行く。
都の異変を感じていた翡乃斗は螢斗にの護衛を任せ、歩き回っていた。雑鬼たちに話しを聞き、そして様子を見る。
二匹の式神と彼らの主は確かに何かの異変を感じていた。晴明、もだ。
「・・・・・・」
煙の匂いが翡乃斗の鼻を掠めた。見れば清涼殿及び後宮が火の手をあげている。
「・・・・・・・・」
都のはずれを見て、それから燃える清涼殿を見る。問題はないと思う。
駆け出そうとしたその矢先、翡乃斗の脳裏に一瞬の映像が浮かんだ。主とその友人(?)である昌浩が東三条殿へ向かっている映像だ。
主が乗るのは彼の相棒螢斗が変化した馬だ。
「東三条殿・・・・・・確か藤原の一ノ姫がいる・・・・・・・まさかとは思うが・・・」
「おーい、翡乃斗の旦那!!」
翡乃斗は己を呼んだ声に顔をむけた。背後に中級妖がいた。神である翡乃斗には逆らえない。
「なんだ」
「さっき、仲間から聞いたんですが、今東三条殿にとんでもなく強い妖が出たとかで・・・・・陰陽師二名と螢斗の旦那が向かったそうですぜ」
「そうか。螢斗がいるなら心配はいらないだろう。すまないな」
「いえいえ」
妖は姿を消した。翡乃斗は東三条殿をむく。いまだに煙があがっていたが少しばかり前に感じた怪しい気配はない。
「・・・・・・逃げたのか」
翡乃斗はそう言うと身をひるがえした。そのまま都の外へと出て行く。
主たちが東三条殿で妖を退治したのち、道長がやってくることに気がついた。螢斗は主の顔を見上げる。
は顔を青ざめさせていた。やれやれと溜息をつきながら螢斗は馬の姿からいつもの狼の姿へと変わる。
"、俺は外にいるぞ"
「えっちょっと主を置いていくつもり?!」
"徒人には見えないのだからいてもいなくても同じだろう"
「気分的な問題よ!!」
どんな気分なんだ、と螢斗は思うが何も言わない。
そのまま東三条殿を出て行った。しばらく経つと東三条殿から禁鬼が出てきた。
"緋乃か・・・・・・"
「螢斗様、様があなたを殺さんばかりに呪っていましたよ」
"問題ない"
「そうですか・・・・・では私は主のもとに戻りますので。無事を祈っております」
丁寧な口調でそう言うと禁鬼、緋乃は姿を消した。
、昌浩が東三条殿にて妖と出会っているころ、は冥府から安倍家の邸に戻ってきていた。
「父上、少しよろしいですか?」
「どうしたのじゃ。火事のことならば・・・・・・」
「いえ、そちらのことではありません」
「では・・・・・」
は背後を振り返る。水盤がそこには浮いていた。
「弓狩・・・・父上の前にそれを置いてもらえますか?」
水の入った水盤は勝手に動くと晴明の前に静かに落ちた。
「父上、それをご覧になってどう思われますか?」
「・・・・・・・」
彼女が持ってきた(持ってこさせた)水盆には黒く巨大な影がうつっていた。
「・・・・・この国の妖ではなさそうなのです。父上ならば何者なのかわかっていらっしゃるのではないかと思いまして」
晴明は何も言わずに水盆を見ていた。
もまたじっと水盤を見つめる。
高天原で一人の青年がじっと下界を見下ろしていた。
「まだ見ているのか」
「兄上・・・」
「あの小娘のことならば心配あるまい。翡乃斗と螢斗がついているからな」
「私ではなくあの二人というところが気に入りませんがね」
「・・・・・月読」
「わかっていますよ。神と人との禁忌はね・・・・・」
小さく悲しげな笑みを青年―月読命―は浮かべたのであった。