柘榴石
それは遥か昔のこと
まだ螢斗が、螢斗という名を持っていなかったときのこと
彼はただ光神と呼ばれているだけだった
・・・・・・・・ただ一人の少女を除いては



"久しぶりだな、高於"
「光神か・・・・何の用だ?」
"つれんな。月読や天照から用事を言いつけられてきた"
「使いっ走りか」
"そうとも言うな"
「言うんだよ」

高於にとって兄にあたる光神はどこか能天気である
高於とは違い、真名を持たない珍しい神だった
イザナギ・イザナミによって生み出されたのではなく、天照と月読がそれぞれ生み出したことにも関係しているのかもしれない
・・・・高於にはどうでもいいことだが

「それで、二人はなんと言ってきた」
"カグツチの焔の様子を聞いて来いといわれた"
「あとは」
"ついでにお前は内部にたまった鬱憤を晴らして来いと言われた"
「・・・・・・」

光神は真名によって力を封じられているわけではないから、しょっちゅう鬱憤を内部にためこむ
そのたびに高於のもとにやってくるのだ
迷惑なことこの上ない

「邪魔はするなよ」
"別になにもしない。またいつものように眠っているだけだ"
「あぁそれと、最近子供も来るからな」
"子供?"

光神の声はいぶかしげだ
最近来るようになった子供である
柘榴石色の瞳を持った少女であった
巫女になりたいのだという
高於の姿が見えているからそれは問題ないだろう
だが、彼女は病魔に侵されていた
生きていられるのは時間の問題だ
彼女の従者で、同じように霊力を持った男はそう言っていた

"人は我らよりも弱いからな"

死ぬのは仕方あるまい
光神は言った

「・・・そうだ、光神。ちょうどいいではないか。名をもらえ、名を」
"高於、我にしばられろと言うのか。わざわざ人ごとき二しばられれてやるつもりはないぞ
「相変わらずかたっくるしい」
"かたっくるしくて結構だ"

光神はそういうと、船岩に寄りかかって目を閉じた
すぐに寝息が聞こえる
高於はため息をついて姿をくらませた

それからしばらく後のことである
一人の少女がやってきた
柘榴石色の瞳を持った少女である
そう、高於が光神に話した少女であった
彼女は船岩のところに青年が寝ているのを見つけると驚いたように息を呑んだ
その気配に光神は目を覚ます

"・・・・・・・・お前が高於が言っていた娘か"

光神はそういうと軽くのびをしてあくびをした

"そう怯えずともいい。我は別にお前をとって食おうなどとは思わないから"

少女は光神を見た

「・・・・・・・」
"そういえば、お前名は?"
「・・・・・時雨・・時雨紅姫」
"時雨か。人にしてはいい名だな"
「あなたの名は・・・?」

少女の問いかけに光神は不機嫌そうに鼻を鳴らしただけだった

"我に名はない。ただ光神と呼ばれているだけだ"

少女はその答えを聞いて軽く首をかしげた

「では私が名をつけてもいい?」

光神は沈黙してしまった
時雨という名の少女は考える
光神が止めるのも聞かずにだ

「藍皇ってのはどう?」
"藍皇?"
「いい名前だと思うな」

時雨はそう言って笑った

"好きに呼べばいい。我はもう少し眠る"
「私もそばにいていい?藍皇」

好きにしろ、と言うと光神―藍皇は目を閉じた。
時雨は嬉しそうに笑うと藍皇の隣に腰掛けた。
そして秋風に髪を揺らしながらゆっくりと目を閉じたのであった。


そんな日が幾日も続いた。時雨も藍皇も少しずつ打ち解けて行った。

「藍皇、これあげるわ」

時雨が差し出してきたのは翡翠色の勾玉を連ねたもの。
ちょうど藍皇の首まわりにあっていた。

"オレのためにか"
「うん、あげるわ」
"・・・・・すまないな"

藍皇の言葉に時雨はちょっとだけ恥ずかしそうな、照れたような、嬉しそうな笑みを見せた。

「またね、藍皇!また明日」
"気をつけて、帰れ"

だが、その日。また明日、という言葉を言った時雨は来なかった。

「光神・・・・」

高於は立ち尽くす藍皇の背を見た。

"体調がよくないだけだろう。またしばらくしたら姿を見せる"

だが、時雨は木枯らしがふいても、桜が咲いても、蝉が鳴きはじめても、貴船に姿を現すことはなかった。

"・・・・・・・・"

藍皇は自分の胸にかかる翡翠の首飾りを見た。

"神でなくばよかったと何度思ったと思う・・・・? こんなにも苦しい想いを抱くのははじめてだ"
「・・・・・・・」

高於は藍皇の胸のうちを察していた。彼は神であって、時雨に惹かれたのだ
だが、恐らく時雨は・・・・・

"こんな想いをするのなら、降りてこなければよかった"


時雨はゆっくりと目を開けた
庭園の花々が目に入る

「時雨様、お目覚めになられましたか」
「小助・・・・・・・・・・小助、今貴船はどうなっているのでしょうね」

小助という名の側仕えは時雨の問いに答えかねた
時雨は貴船の巫女になりたいと思っていた。貴船の祭神も了承している
だが、時雨の体はもうすでにその日一日を暮らすこともできないのだ

「藍皇に会いたい・・・・・・・・・・・・・・・・・・きっと待ってる」
「藍皇・・・・?」
「・・・・一人ぼっちで寂しそうな神様よ」

そして、と時雨はつぶやいた

「始めて好きになった人・・・・」

時雨の瞳が小助をむいた

「ねぇ小助。もし私が死んだらね・・・・・」


「戻るか」
"・・・・あぁ。高於、一つ頼まれ事をしてはくれないか"
「かまわんが」
"これを時雨に渡しておいて貰いたい"

藍皇は自分の右耳から琥珀の耳飾を外した
そしてそれを高於の手に落とす

"これの礼だ"

必ず渡しておこう、と高於が言うと藍皇は小さく笑って天界へと戻って行った


「高於様」
「お前は・・・時雨の」

高於は驚いたように小助と、その腕の中にある小さな骨壷を見た

「まさかそれは・・・・・」
「時雨様です・・・・つい先日はかなくなられまして・・・・ご遺言の通り体を焼き、灰と骨を持ってまいりました」
「そう・・・か」

高於は先ほど藍皇から渡された琥珀の耳飾を見た

「それで時雨の遺言とは」
「はい。時雨様が亡くなられた後、ここ貴船に埋めてもらいたいと。できれば高於様のおそばに」
「・・・・・よかろう。そこの船磐のもとに埋めるといい」

そこは二人がいつも寝ていた場所だから
小助は小さな穴を掘り、時雨の骨壷を埋めた
高於はその中に琥珀の耳飾も入れてやる



「螢斗ー貴船に行くけど、どうする?」
"行く"

紫の言葉に眠っていた螢斗は飛び起き、あとに続いた

「高於に会うのも久し振りだなー。母さんたちが死んでからあんまり行ってないもんね。高於怒ってるよー」

貴船にやってきた紫は船磐のもとにたどり着く。ふとその船磐のそばに花が添えられているのに気がついた。

「これは・・・・」
『それは百年ほど前、この高於の巫女だった女に捧げたものだ』

白銀に輝く龍神が姿を見せる。龍神は人身をとると螢斗に目を向けた

「お前もよく知る、時雨だ」

螢斗の目が驚きに見開かれた

"時雨は・・"
「人の命は永遠ではないからな。お前が天に戻ってすぐそのあとに従者がやってきた。時雨の骨壷とともに」

螢斗は花が添えられたあたりを見た

「中にお前の耳飾も埋めておいた」

螢斗は無意識のうちに胸の翡翠に触れていた
左側にしかない琥珀の飾りが風に揺れた

"そう・・か、時雨は・・・・・"
「螢斗・・・」
"紫・・・・お前は簡単に死んでくれるなよ"
「・・・・・・・うん、もちろんだよ」


螢斗は胸から翡翠の飾りと左側の琥珀の飾りを外し、そっと花とともに置いた

"時雨、お前の命日には必ず来よう・・・・色んな話をしてやる"


触れられなかったその頬の代わりに、螢斗は時雨の骨が埋まった地を優しく撫でたのであった