鎮魂歌
「そういえばさ」

ことの発端は浅月香介がそう言ったときからはじまったのだと、アイズ・ラザフォードは思っている。

「なんで、お前はピアノを始めたんだ?別にやる必要だってないだろう?」

アイズは無言で香介を見た。
隣に座る理緒も興味津々といった様子である。

「・・・・・」
「なぁ、なにがあったんだよ」

アイズは読んでいた本を閉じて香介を見た。

「昔・・・俺がまだ自分がブレードチルドレンだと知らない頃、一人の女に出会った・・・・ピアノのコンサートのときだ」

有名なピアニストだった。弾く曲はフランツ・リストばかり。
中でも「孤独の中の神の祝福」は何度も弾いていた。
何故そのコンサートに行こうと思ったのかわからない。ただ養い親に頼んで連れて行ってもらった。

「ほら、・フェリスが出てきた」

綺麗な女性だった。銀白色の髪をゆったりと背に流し、彼女は歩いていた。
そして客席をむいたとき、アイズと彼女は目が合った。いや、目が合ったというのはアイズの思い込みかもしれない。
だが、彼女は一瞬アイズのほうをむいて微笑んだのだ。

「その演奏はすばらしかった。彼女の演奏は神の音色と評されているようだが、まさにその通りだった。俺はその演奏に引き込まれた」

そのコンサート後。アイズは彼女に会った。義母と彼女が知り合いだったようで、今日のコンサートも招待されたのだ。

「いらっしゃい、アイズ・ラザフォード君」
「・・・・・」
・フェリスよ」
「はじめまして・・・・」

は小さく微笑んでアイズに手を差し出した。細い指先だった。

「アイズ君もピアノをやってみない?」
「・・・・」
「いらっしゃい。こっちに練習用のピアノがあるの」

彼女のあとについていくと一台のグランドピアノが置かれていた。

「さぁ、座って」

言われるままに椅子に腰掛ける。はアイズの手を取って、鍵盤にのせた。

「押してみて」

ポン、という軽い音がした。

「ねぇ、私のレッスンを受けてみない?」
「レッスン・・・・・」
「そう。君の手もきっとピアノを求めているわ。どう?もちろん受講料はなし。私から言い出したんだからね」

アイズはうなずいた。それからだ。アイズがピアノを習い始めたのは。
彼はどんどん上手くなって行った。は誇らしげに微笑んでいた。

、楽譜貸して」
「なにがいい?」
の好きな曲」

「じゃぁ難しいけど・・・・・"孤独の中の神の祝福"と"鎮魂歌"」
「ありがとう」
「アイズ君、私しばらく海外公演で家を空けるの。それと家の鍵を渡しておくから一人で練習してくれるかな」
「どのくらいで帰ってくる?」
「一ヶ月・・・・・」
「・・・・が、戻ってきた時には二曲とも完璧にしておくから」

アイズがそう言うと、は微笑んで頭を撫でた。

「頑張ってね」

はその後海外へと旅立って行った。
アイズは一人、の家で曲を練習し続けた。
そして半月ほど経ったある日、留守番電話が入っていた。

『久し振りね、アイズ君。調子はどう?私のほうが順調だから、上手くいけばもう少しでそっちに帰れると思うわ。そう、それとね、君に話しておかなければならないことがあるの。私の寝室、ベッドの隣にある棚の一番下に鍵がかかっているわ。そこを家の鍵で開けてちょうだい。その中に封筒が一つ入っているの。誰もいないところで、それを読んで』

留守電はそれだけだった。が、アイズはすぐの寝室にむかった。
確かに一番下の棚は家の鍵で開いた。
そしてアイズは中に入っていた封筒の中身を読んだ。そして自分の出生の秘密と"ブレード・チルドレン"のことを知ったのだ。

そして一ヵ月後。は戻ってきた。

「読んでくれた?」
「・・・・・」
「黙っていたのは悪いと思っているわ・・・・・・あなたをあの人に預けたことも」
「・・・・・」
「・・・・・・やっぱり私のことを"お母さん"とは呼んでくれないのね」
・・・・・・」

はとてもとても悲しそうに微笑んでいた。
その次の日から、アイズはの家には行かなくなった。行きづらかったのだ。
何日も何ヶ月も経ってから、義母が行ってごらん、との家に行かせた。

・・・・・」

アイズはドアの前で立ちすくんでしまった。
入りづらい。しかし、楽譜と鍵を返さなければいけない。
もう二度と、来ない、とも言わなければいけない。
アイズは思い切って扉を開けた。

一番初めに感じたのは濃い血の匂いだった。
むせかえるほどの血臭はリビングのほうからしていた。
アイズはそちらへ足を向ける。

・・・・・・・」

アイズの愕然とした声が口からもれた。
リビングのソファにもたれているのは、首なしの体。首はといえば、テレビの上にのって、閉じた瞼をアイズのほうへむけていた。
アイズの中で何かが切れるような音がした。
の家で狂ったようにアイズはピアノを奏でた。
"レクイエム"を・・・・・
ただただ胸を切り刻む思いを鎮めるために、奏で続けた。
"神の祝福"を求めるために・・・・・

「俺は死んだへの手向けの花として、ピアノを弾いている。それが死んだ彼女にできる精一杯の恩返しで・・・・・・」


"お母さん"と呼べなかった自分の罪を赦して貰う為に・・・・・・・


アイズの最後の小さな呟きは香介の耳にも届いてはいなかった。