は主上の部屋の隣にある自室で琴を爪弾いていた。
愛し合っていた二人が運命によって引き裂かれてしまうという歌物語を。
恋人を喪った少女に自らを重ねながら。
「・・・・・・・・兄上」
腕に顔をうずめたは肩を震わせた。
殺した嗚咽が聞こえ始める。
静蘭は外でその嗚咽を聞いていた。主上の部屋から戻ってくる途中にあるの部屋。
悲しげな琴の音色に耳を澄ませば次は嗚咽である。
しかも聞くたびに胸が締め付けられる想いがするのだ。
「桜姫・・・・」
遥か昔に想いを寄せた一人の姫を思い浮かべた。
桜の似合う美しい少女。ただ一人心を許せた女性であった。
時々とても悲しそうな顔をするのだ。それを見ているのが辛くて、いつも抱き締めた。
そうすると彼女は嬉しそうに微笑むのだ。
"清苑"
彼女に出会ってはじめて笑えた。弟がそばにいて、大切な姉がそばにいた。
だから、清苑は地獄のような宮廷でも生きていけたのだ。
"好きですよ、清苑"
"私もです、姉上"
許されるはずがないとわかっていた。でも、本当に愛していたのだ。
流罪になってからも、あの地獄のような日々を過ごしていても、清苑は桜姫のことを忘れることはなかった。
名を呼んでくれる声が好きで、笑うと小さな花のようで可愛らしくて、時折切なげに瞳が揺れるのがたまらなくて。
本当はもっとそばにいたかった。
「・・・・・」
戸部に小さく琴の音が聞こえていた。
景侍郎は顔をあげ、微笑む。
「さんですね」
「あぁ」
「今日はまた・・・・とても悲しそうな音色ですね」
「・・・・・そうだな」
「鳳珠、喧嘩でもしましたか」
「いいや。いつもどおりだった」
鳳珠はその音色を聞きながら、あとでの部屋に行って見るかと考えたのである。
静蘭はじっと外で琴の音色を聴いていた。懐かしくもある。
心の中に引っかかる微かな音色。そして微笑み。
「・・・・・・・・」
「あら・・・」
突如として隣から聞こえた声に静蘭はぎょっとした。
部屋の戸が開いて部屋の主が姿を見せたのだ。
「あなたは・・・・あぁ、今夜の主上の?」
「えぇ・・・・・」
「そのようなところにいては寒くありませんか。よかったら、中でお茶でもいかがです」
「いえ、そのようなことは」
「ばれませんわ。さっ、どうぞ」
半ば強引に腕をひかれ、静蘭は部屋の中に入る。
部屋の中に入った瞬間に感じたのは、淡い桜の香だった。
部屋の主の女性がくるりと振り向く。自らと同じ髪を持った女性だった。
「桜の下で会いましたね、静蘭様」
「覚えて・・・・・・・」
「忘れませんわ。忘れてしまったら、悲しいでしょう?」
の淡い朱の唇が微笑んだ。
静蘭は思わずの頬へ手を伸ばしかけ、そして止める。
「主上がお世話になっております」
「いえ・・・」
「紅貴妃様にもなんとお礼を申し上げてよいことやら・・・」
は嬉しそうに微笑んだ。
「貴妃様のおかげですわ。主上が本当に楽しそうに一日を過ごされるのなんて、今までに見たことありませんもの」
劉輝は嬉しそうに一日にあったことをに報告するのだ。
それはもう、幸せそうに。
がきたときよりも彼は明るくなった。
「私ではできなかったことをいとも簡単にやってしまう。貴妃様はすばらしい方ですね」
静蘭はゆっくりと目を閉じた。
彼女の言葉が言いたいことはわかる。
静蘭とて同じだ。紅家に拾われて、彼女に救われた。
「支えていてくれる人がいるというのは幸せですね。よかった。もうこれで主上は悲しい顔をなさらずにすみます」
「あなたは・・・・」
「えっ」
「あなたは、何故悲しそうに微笑むのですか」
は首をかしげた。
悲しそうに、とはどういうことなのだろうか。
静蘭の言っている意味がわからない。
「私、悲しそうですか?」
「とても」
わからない。自分の顔は見ることができないから、当たり前かもしれない。
でも、わからない。
「本当は、主上が明るくなることで救われていたのかもしれませんね。私自身が」
「さん・・・」
「とてもお優しい方ですから。傷つけたくはありませんわ」
「・・・・私も、同じ思いです」
二人の胸には、同じ面影が映った。
もっとも、そのことは二人とも知らないけれど。
「そろそろ私は戻ります。どうか、早くお休みになってください」
「ありがとうございます、静蘭さん。あぁそうだ。これをお持ちになって行って下さい」
は淡い紅色の包みを静蘭に差し出した。
不思議そうな顔をする静蘭には微笑みかける。
「桜茶ですわ。どうか、紅家の皆様でお飲み下さい」
「ありがとうございます」
静蘭はそっと桜茶をしまいこんだ。
は外にでて、彼を見送る。
風がふき、二人の間に桜の花びらを散らせた。