音色
安倍晴明の式、十二神将勾陳は外から響いてくる笛の音に耳をすませていた。このところよく聞こえる笛だ。中々の奏者らしく、夜の空に美しく溶け込んでいる。
「誰が奏でているんだろうな」
傍らの白い物の怪が呟いた。猫のような体躯に、花のような額の紅い模様、大きな紅の瞳は今は閉じられている。
長い耳が時折、ぴくぴくと動いていた。
「さぁな・・・・・」
「美しい音だ・・・・・・」
「だが・・・・悲しげではないか?」
勾陳は物の怪にそうたずねた。
物の怪は紅の瞳を開いて勾陳にむけた。
「確かに・・・・・・」
その音色は美しいのだが、どこか聞く者達を悲しげな気持ちにもさせた。
勾陳は立ち上がる。物の怪が怪訝そうに彼女を見た。
「どこへ行くんだ?」
「誰が奏でているのか見てくる。どうせ姿は見えないだろうし」
勾陳はそう言って邸を出て行った。
笛の音色を辿っていくと朱雀大路にたどり着いた。
道の中央を誰かが歩いてくる。
勾陳は暗闇に目を凝らしてみた。
「・・・・・・・男?」
笛の音が途切れた。にこやかな笑顔を浮かべた男が勾陳の元に歩み寄ってくる。
「こんばんは、えっと・・・・・・」
「・・・・・・・・・私が見えるのか」
「えっ?それはどういうことですか?」
勾陳は見鬼の才を持つものが安倍家の人間のほかにもいたのか、となぜか感心してしまう。
見鬼の才はそれだけで異形の者達に狙われる力だ。色々と苦労もあっただろうに。
「・・・・・・・・・これは、名乗らずに失礼いたしました。僕はといいます。よろしければあなたの名を教えていただけますか?」
「勾陳・・・・・・という」
「勾陳殿・・・・・・人にあらざるものですね」
勾陳は瞠目した。何故わかる?
そして何故動揺しない?
「驚いていますね。なら教えて差し上げます。僕の笛の音は妖を引き寄せてしまうらしいのです。でもはじめて妖とは別のものに会いました。あなたは・・・・・何者なのですか」
何者なのか、と真正面から恐れずに言われたのは晴明以来だった。
勾陳はこの男のことを気に入った。
「・・・・神の眷属、というべきなのだろうな」
「なるほど。僕の笛の音に神が引っかかったのは初めてです」
は小さく笑って勾陳を招きよせた。
そばによると背が高めの勾陳よりも若干背が高いことがわかった。
「どうですか、僕の笛の音」
「いいとは思う・・・・・・・・だが、悲しそうだな」
「悲しそう・・・・・ですか」
はなるほどというように手を顎に当てた。
勾陳はそっと笛に触れた。ひんやりとした感触がある。
「悲しい音色でも・・・・なぜかもう一度聞きたくなる」
「では聞きますか?」
「あぁ」
はニッコリと微笑むと笛に口をつけて息を吹き込んだ。
夜空に吸い込まれるようにしてつややかな音が流れ出てくる。
音は勾陳の耳をくすぐった。
「・・・・・・・・」
勾陳はゆっくりと黒曜石の瞳を閉じて音色に聞き入った。
やがて最後の笛の音が闇にとけて消えた。勾陳はほぅっと息をつく。
「いかがでしたか?」
「ものすごくよかった。だが・・・・やはり悲しげだな。何故だ?何か悲しいことでもあったのか」
「・・・・・・・・・悲しいことですか・・・・・・・・えぇ、ありましたとも・・・・・・・・つい先日、血を分けたただ一人の妹が死んだんです」
「死んだ・・・・・?」
「恋していた男に裏切られて自分の喉に刃をつきたてたんです」
「それで・・・・・・・」
勾陳は笛に手をかけた。がきょとんとして勾陳を見上げる。
「これの音で呪詛をかけようとしたのか・・・・・・」
「・・・・・・・」
の顔はハッとしたものへと変わった。
勾陳は蘇芳を見た。
「こんなことをしてお前の妹は喜ぶのか?」
「・・・・・・・他に。・・・・他に何をしろと?」
は泣きそうな顔になった。勾陳は笛を取り上げる。
「お前の妹が望むとしたら、兄の幸せじゃないのか?お前がこんなことをして妹が喜ぶとは思えない」
「でも・・・・・それでもっあの子は裏切られて死んだんだっあの子の無念を晴らさなければ僕は生きていられない!」
「馬鹿・・・・・」
は勾陳を睨んだ。睨みながらもその瞳には涙が溜まっていた。
「それでも・・・・・僕は・・・・・・・・僕にはあの子が全てだったのに・・・・・・僕は何を頼って生きていけばいいんですか・・・・・・」
勾陳は笛を差し出した。は腕の中に笛を抱え込む。
抱きしめた笛から白いもやのようなものが出てくる。少女の形になったそれを見たの目が見開かれた。
「・・・・・・」
"お兄ちゃん・・・・・生きてよ・・・・・生きて"
少女の姿をしたそれはそう言うと消えていった。が伸ばした手は一歩及ばなかった。
「・・・・・・・・・・んで・・・・・・望んでいると思ったのに」
「復讐をか?」
「愛していたから・・・・あの子は誰よりも男のことを愛していたから・・・・・それが悔しくて・・・・」
勾陳はそっとの手に己の手を重ね合わせた。
涙に濡れた瞳が勾陳を捕らえた。
「お前はもう苦しまなくていい。もう妹の願いは叶えられないだろうがな・・・・・」
「・・・・・」
「これからどうするんだ?」
「・・・・・・・・・まだ笛を吹き続けます。あの子を見て思い出したんです。僕の笛が大好きだって言って笑ってくれたことを・・・・だから僕は自然に消えるまでずっと吹きます。悲しい音色でしょうけど・・・・」
「人には人の音色がある。でもお前・・・・・・陰陽師に払われないようにしろよ?」
「ありがとうございます・・・・・・・・・・・あなたに・・・・・・・勾陳、あなたに出会えてよかった」
そう言っては軽く勾陳の額に口付けると、その姿をかき消した。
元から誰もそこにはいなかったように・・・・・・
その場に静寂が満ちた。
「そうか・・・・・・・笛を吹いていたのは妹を亡くした男だったのか・・・・・・で、そいつはどうした?」
「消えたよ・・・・・どこに行ったのかわからない。どこかでまだ笛を吹いているんだろうな」
「勾陳はいったいどうしたのじゃ、紅蓮」
「あぁ・・・・・どうやら前に一度会った笛吹きの亡霊が忘れられないらしい」
「ほぅ・・・・あの悲しい響の音色を奏でていた・・・・・」
「知っていたのか」
「あぁ・・・・・・」
物の怪は晴明を睨んだ。晴明は飄々としてその視線を受け流していく。
「勾陳・・・・・・・・」
とそのとき
風にのってどこからか笛の音が聞こえてきた。
涼やかな、甘い音色が・・・・・
晴明の目元が和んだ。
「どうやら彼もまた勾陳のことが忘れられないらしいな」
晴明が微笑みながら言った。物の怪も耳をそよがせて音色を楽しんでいた。
「あぁ・・・・・・そうだな」
「!」
勾陳は朱雀大路にむかった。
待っていた青年がそこに立っていた。
「勾陳殿・・・・・・あなたに会いたくて・・・・・・・また来てしまいました」
「・・・・・・っばかっ!冥府に降りて妹に会ってるとばかり・・・・・・」
「えぇ。そうしようと思ったんですけど、意外と妹が川のそばに立っていて言ったんですよ。"お兄ちゃんを待ってる人がいるのよ。さっさと戻りなさい。あの人、お兄ちゃんに心乱されてるんだから"って怒られました」
「・・・・・・いい妹だな」
「はい。自慢の妹ですから・・・・・・・にしても勾陳殿?」
「なんだ」
「心乱されてますね。あなたは冷静そうに見えたのに・・・・・・・・」
「っ!誰のせいだ。私だって・・・・こんなはずじゃ・・・・・」
勾陳は溜息をついた。は堪えきれないといった様子で笑っている。
「勾陳殿・・・・・・楽しい・・・・・・・・プププッ」
「お前、自分で自分の性格が悪いとは思わないのか」
「いえ全然」
「・・・・・・・・・」
はそっと勾陳の頬に手を当てた。
「あなたが好きです。勾陳殿。どうか、私の笛を捧げる相手になってください」
「馬鹿者・・・・・・拒否するわけないことを知っているくせに」
「そうだったんですか?嬉しいな。ありがとう」
の笑顔に勾陳は溜息をついた。しかし、なぜか笑いがこみ上げてきた。
「やれやれ・・・・・お前のような兄を持って妹は大変だったろうに」
「そうでもないですよ。妹のほうが手がかかる時もありましたから、お相子ですね」
「・・・・・・・・・・・妹に雷を落とされるぞ」
「覚悟は承知のうえです。あなたを苛めているんですから」
「・・・・・・・・・・・・お前、絶対に性格悪いな」
「ありがとうございます」
「別に褒めてるわ」
勾陳の言葉が途中で止められた。
甘い水仙のにおいが鼻をくすぐっていく。すぐそばにの微笑んだ顔があった。
「勾陳どの、私の妹の話はどうでもいいんです。私の・・・・・笛の音色を聞いてください」
「拒否はしないと言ったはずだ、」
真っ白な月が浮かぶ夜
都中に涼やかな美しい笛の音が響いた
数々の化生がその音に耳をそばだて、都人たちも誰が奏でているのだろうかと縁側に出る
晴明と物の怪は笛の音を聞きながらそっと微笑するのであった。