「彰子、西対屋って誰がいるんだっけ」
「あら、も行くの」
「ん〜安倍家三兄弟がそろっているから必要ないかと思うんだけど・・・・・だけど」
"彰子姫、の嫌な予感というものは大概外れないのが常なのだ"
「だから教えてくれると助かる」

彰子は少し思案するように首をかしげていた。

「私の弟がいるの。ちょっと乱暴だけど、根はいい子よ」


彰子さん、それはあなたの前でだけではないでしょうか・・・
は思った。螢斗は何もいえないらしく、だまっている。
軽い溜息をついて、案内役の女房に礼を言い、は中に入る。
驚いたような顔をして中にいた者たちが振り返った。

殿!助かった・・・」
「・・・・何をしているんだ、お前たちは」

溜息交じりの職場口調である。
今、は陰陽頭"橘"となっていた。思わず、、といいかけた青年は口を塞いだ。

「鶴君ですね、私は陰陽頭橘と申します。蔵人陰陽師安倍晴明からの申しつけにより、参りました。この者達は安倍家の兄弟、そして私の配下になります。どうかご無礼があったのなら、お許しいただきたい。ですが、彼らが守ると言ったからには必ずお守り申し上げます。ですから・・・・・」

ゆっくりとの瞳に反抗することを許さない光が宿った。

「少し黙っていていただけませんか?」

静かな怒りである。
鶴君はこくこくとうなずいて、後ろの兄弟たちは苦笑していた。
昌浩を筆頭に、長男安倍成親、次男安倍昌親とそろっている。珍しいことこの上ない。
しかも晴明お隅付きであるから力のほうも問題ない。なのに、何故この若君は文句たらたらなのだ!

は相当怒っているな」
"言葉でこそ言わないが、は成親、昌親、昌浩の力をマジメに認めている"
「それをあんな童に馬鹿にされるのが悔しいのだろう?」

白い物の怪と翡乃斗と螢斗が会話している。
はそれを背後で聞きながら振り向いた。

「なんだか嫌な予感がした。気配の元を探ればここだ・・・・・」

の無言の抗議の視線が送られてくる。別段自分たちがなんら悪いことをやったわけではないのだが、なんとなく居住まいを正してしまう。

「私は様子を見に来ただけなのだが・・・・手伝おう」
「それは助かる。頭のように強いものがいれば安心だ」
「だが、成親。あくまで手伝いだ。それ以上のことはせん」
「・・・・」

それを言ったきりは鶴君のほうへむかってしまった。

「螢斗、あれは・・・・」
"手伝うと言ったからにはあの小僧に被害が及ばないようにするだろう"

螢斗といい翡乃斗といい、やはり神だなぁと昌浩は思ってしまう。今の世で一番の権力を持った左大臣の子息を簡単に小僧呼ばわりする。
だがその一方で二人とも安倍家の子供たちには何も言わない。時折面白そうな、興味深そうな光を瞳に宿してみているだけだ。

「結界を強固にした。これで幻妖は入ってこられないだろう」

結界のうちに鶴君と女房をいれ、は成親と昌親を向く。

「さてっと・・・・どうしようか」
「お前、素に戻って・・」
「あぁ大丈夫。結界内には一言も聞こえてないから。ちなみに結界内の声は聞こえるけど」

確かに、鶴君の幼子特有の高い声がきゃんきゃんと聞こえる。
成親は苦笑して、を見た。

「それにしても本当に助かった。俺たちは妖調伏は苦手だからな」
「ていうか安倍家三兄弟そろって最強じゃない?守り、後方支援、攻撃。見事だわぁ」
「お褒めの言葉をありがとうございます、。ですが、何故だかに言われると嬉しいというよりも頭にくるということのほうが大きい気がしますよ」
「そう?」

詠唱破棄を一番得意とするである。攻め、守り、どちらにも広く通じている。

「あぁいうわがままな若君は何かしらの事件を引き起こしているからね・・・・背後にいるのが藤原道長じゃ、何かを言いたくても言えないし・・・・・」
「確かに・・・」
「って昌浩は?」
「中納言殿のお邸にむかった」
「あぁそういえばさっき・・・・」

の瞳が鶴君にむいた。一瞬だけ脅えたような顔になった若君だが、すぐに睨み返された。
螢斗が苦笑している。

"成長したらにもまけないやつになるな"
「どういう意味かな、螢斗?」
"別に"

が例の如く溜息をついたときである。
ぴしっと音がして、西対屋に張ってあった結界がたわんだ。
は胸元から呪符を取り出し、自らの血を擦り付ける。

殿・・・・」
「昌浩、さっさと戻って来い、この馬鹿っ」

幻妖が対屋に入ってくる。螢斗が梓の前に立ち吼えた。
神気の波動が幻妖の侵入を阻む。

「昌親!」
「縛!」

昌親が五芒を描き、幻妖を捕らえた。

「禁縛封呪 結」

地に倒れ伏した幻妖を囲むようにしてが結界を張った。
不安そうな様子の女房に笑顔をむけ、は印を組んだ。

「ナウマクサンマンダ・・・・」
「待て、

白い物の怪が飛び込んでくる。

「そいつは調伏するな」
「騰蛇?」

物の怪の言葉に瞠目すると同時に、玄い気配を感じ、昌親・成親にあとを任せ物の怪とともに前に出た。

「なんだこれ・・・・・」
「引き寄せられたな」
「騰蛇?」

一瞬で物の怪の姿が本性に変わる。
神気にはあおられ、衣の裾で顔を覆った。

「間に合った!紅蓮、もういい!」

昌浩の声とともに騰蛇は物の怪の姿に戻る。

、こっちの妖はよろしく!」

昌浩は対屋の中に入っていく。物の怪と目が合ったは小さく笑った。

「いいよ。片付けておくから。でも何があったか言おうね」
「わかっている」

物の怪が昌浩のあとを追って中に入った直後、の霊力が爆発して、動こうとしていた玄妖を地に縫いとめた。

「ふふっ、腹が立っているから、すっきりさせてもらうわ」

螢斗は昌浩たち、このの姿を見なくてよかったなぁ、と小さく想ったのである。
きっと、鬼と間違われて調伏されてしまうだろうから。

狭霧丸をしまい、対屋に入ったの右肩に硯がぶつかる。
痛みに顔をゆがめは肩を抑えた。

「若様!」
「っ・・」

は痛みに声をあげない。
見れば、昌親も額を押さえているではないか。しかも指の間から赤いものがたらたらと・・・・
ちなみに自分はなんだか耳のそばでゴキッという音を聞いたような聞いてないような・・・・・・

"?!"
「大丈夫・・・」
「だが、ゴキッと不穏な音が・・・」

成親の言葉に重なるようにしてゴンッという音が響いた。
ビクッとして昌親から眼を離せば、昌浩の背が見えた。仁王立ちをしている。
物の怪が唖然とし、成親も昌親も声を出せず傍観者になっている。
昌浩の前に立つ鶴君は頭を抑え、涙目になっていた。

"キレたな"
「あぁ・・・普段温厚なものほどキレると恐ろしいからな」

例=である。
昌浩はそれはそれは恐ろしい目で鶴君をにらんでいる。
残念ながらがいる場所からはちょっと声が聞き取りづらい。
ちなみにとてとてと昌浩のそばまで歩いて行った翡乃斗にはよく聞こえるし、見える。

「兄上も殿も若君を守って妖を退治した。そういう時になんという。我が儘と文句が礼儀か、どうなんだ」

翡乃斗は昌浩の目がきらめくのを見た。

「何かをしてもらったらありがとう、悪いことをしたらごめんなさいだ!人に怪我をさせて平然としてるんじゃない!自分が同じことをされたら痛いだろう、なんだったら同じ目に遭ってみるか?!」
「あー・・」

にもさすがにこの言葉は聞こえた。怪我をしていないほうの左手で軽く頬をかきながら成親を見る。

「・・・・・・ご・・・・ごめ・・・・・なさい」
「よし!」

鶴君はあまりの恐怖にしゃくりあげている。恐らく今回の幻妖よりも昌浩の怒りのほうが怖いのだろう。
うん、確かに無茶苦茶怖い。

「あの、女房殿」

しばしの沈黙を極めて静かな昌親との呼びかけが破った。それまで硬直していた女房が飛び上がる。

「は、はい!!」
「できれば、何か血止めの布を用意していただきたいのですが・・・・それと殿には包帯を」

昌親の額からは相変わらず鮮血が滴っている。もそろそろひどくなり始めてきた肩の痛みに顔をゆがめていた。声も出せないようである。

「わっ、兄上!」
殿?!」
「早く手当を!」

白と黒の物の怪は顔を見合わせてからしゃくりあげている鶴君を見た。

「自業自得だな」
「だな」

部屋を片付け、怪我の手当ても終えてから三兄弟、は道長のもとへ報告に行った。
昌浩が知った幻妖の正体は何も言わない。も昌浩の兄二人も聞いたが道長には報告しないことに決めた。

「どうやら高貴な家柄の嫡男に狙いを定めていた妖のようですね・・・・無事調伏いたしましたので、今後鶴君が襲われるということはありませんので、ご安心を」

の隣では昌浩が平身低頭している。
道長の嫡男である鶴君を殴ってしまったのだから仕方がない。どんな処罰でも受ける覚悟であったが、そこに至るまで事情を女房に聞いた道長が逆に詫びてきた。

「すまないことをした。これは鶴が悪いのだ。昌浩よ、そんなにかしこまる必要はない」
「ですが・・・・!」
「昌親、に怪我をさせた鶴が悪い。なのに謝らなかった鶴を、だからお前は叱った。違うか?」
「恐れながら、その通りでございます」
「これが悪いというなら、止めなかったわれらも同罪です」

昌浩の左右に座している兄弟が口々に言い募る。もうなずいた。
道長はうむうむとうなずくが、困った様子で息をついた。

「いささか、我が儘に育てしまってな・・・・・私が娘達ばかりに気を向けているものだから、寂しかったのかもしれん」
「いささかぁ?」

胡乱げに呟いたのは物の怪だが、同じ思いが四人の胸中を駆け抜けたのは言うまでもない。

"あれでいささかというのだったら、市井の子供たちはどうなる。あれの中にも結構我が儘なのはいるが、それでは我が儘にはならない"
「さすがの道長も子供には甘いのか」

の背後にお座りしている物の怪たちが呟いた。

東三条殿を辞してから、梓と三兄弟は家路を辿った。

「昌親、額大丈夫?」
「えぇ。額の怪我は出血はひどいものですが、そんなに深くはないものです」
「それよりも、肩は」
"衝撃で腫れているだけだ"
「しばらく夜警はお預けだな?」

はむっとして二匹の物の怪をにらんだ。

「にしても、あの昌浩があそこまで怒るとはね・・・・無茶苦茶怖かった」
「珍しいほどに怒っていたな。俺たちもびっくりしたぞ」

はこのあと、絶対に昌浩をキレさせることだけはしないようにしようと心に決めたのであった。