夜の闇を切り裂くようにして光が動く。
細い線は確実に何かを切り裂いていた。

『お前は冥府の官吏!』
「いかにも。けど川辺にいるのとは違うの。知ってた?」

そう言って墨染めの鬼は笑う。
鬼は一歩引き下がった。が、背後で獣の唸り声がするとまた足を止めた。
黒い狼と小さな猫のような生き物が毛を逆立て、鬼をにらんでいる。

「獄卒たちの隙を着いて逃げ出したのは褒めてあげるわ。でも相手が私で残念ね?」
『おのれぇぇぇ!』
"そんなに息巻いていては隙も出来るというものだ"

鬼の背に鋭い牙が突き立った。鬼の絶叫とともに墨染めの鬼が動く。
美しい弧を描いて、刃が鬼の首を切断した。断末魔は途中でかき消され、その体は煙となって消える。

「終ったぁ」
「ご苦労だったな、
「うん、疲れた。今日はもう帰ろうか」

墨染めの鬼こと小野は狭霧丸を鞘に戻し、闇の京を歩き始めた。
今巷を騒がす墨染めの鬼とはのことなのだ。
小野家は冥府の官吏となって一生を過ごす者達がいた。の先祖小野篁もそうである。
冥府の官吏とは冥府閻羅王族に仕える者達のことを指す。冥府は人間たちに無用な干渉はできない。何故なら鬼籍帳に影響を及ぼすことになってしまうからだ。
だが、時折冥府から封じられていた鬼や怨霊が都に出て行くことがある。そういう時、出て行ったものを元に戻すのが官吏の仕事であった。
も七つでそれを受けてから今日までずっとやっている。いつの間にか墨染めの鬼とまで言われるようになってしまった。ちなみに、篁もそう呼ばれていたことがあったという。

「ふわ・・・・あ」
"帰ったらよく眠れそうだな"
「明日も出仕だしね〜」

相変わらず陰陽頭としての仕事が舞い込んでくる。頭は一人なのに、と心の内で叫ぶも誰にも気付かれていない。
もう一人の頭は別に気にしていないらしい。むしろのほうに仕事が回るから楽だと言っていた。
の口から思わず溜息が零れてしまう。

「さてっと・・・・明日も頑張りますかな」

といいつつ、翌日。出仕から戻ると昌浩の父吉昌の部屋から昌浩が出てきた。その腕の中にあの白い物の怪がいる。
正体を知っているから別段何を想うわけでもないが・・・・・
なんとなくは吉昌の部屋をのぞいて苦笑した。

「見慣れないものを見て疲弊されましたね、吉昌様」
か・・・・・・まったく、驚かされる」
「ふふっ、でもすぐに慣れますよ」
は彼が怖くないのか?」
「いえ、全然。むしろ、恐ろしいのが冥府にうじゃうじゃいますから」
"うじゃうじゃとまではいかないだろう"
「いくんだよ、螢斗。最近出会った燎琉の奥さんって人、あの人があれの血を引いてるってわかるもん。ちなみに私は燎琉も篁も恐ろしいと想う。やっぱり冥府関係者には恐ろしいのがいっぱいいるんだよ。あっそれとお前たち二人を除いた天津神もそうだね」

一息で言い切ったを見て吉昌は苦笑した。
は不思議な子供だ。彼女のそばにいる化生たちは本性を見せればそれは恐ろしい。
妖などという生易しいものではないのに、は平然とそばにおいて、挙句の果てには口げんかはしょっちゅう、時折足蹴にまでしているのだ。

「それじゃ、吉昌様、私はもう一仕事ありますので」
「頭として?」
「まさか。というか吉昌様、やめてください・・・・・私ほとほと迷惑しているんです。仕事が多くなって、このままじゃ露樹様のご飯が食べられなくなるじゃないですか!」
"吉昌、に何を言っても無駄だ。にとっては出世よりも露樹の飯のほうがはるかに大切なんだから"

これは喜んでいいことなのだろうか。だが、を娘同然に育ててきた吉昌である。
なんとなく微妙な気分になりかけた。

「それじゃこれで失礼します」

は立ち上がると庵に向かう。唐櫃から墨染めの衣と小野家宝刀狭霧丸を取り出す。

「行くのか」
「行かないとねぇ・・・・・あの妖退治については私のほうにも仕事が回ってきてたし」

"橘"個人的に。

なるほど、と螢斗はうなずいた。
翡乃斗が墨染めの衣に着替えたの肩に飛び乗る。

「さて、行こうか?」


妖気の元を探りながらは闇の中を走る。
暗視の術をかけているから視界は昼間のように明るい。

「しかしいったい、視えない中で昌浩はどぉやって戦っているんだ?」
"やつがそばにいるのなら、死ぬことはあるまい"
「見つけた」

が急に横道を曲がったため、翡乃斗は危うく主の肩から振り落とされそうになる。
その首根っこをつかんで、は屋敷の屋根に飛び乗った。
螢斗も後に続いて飛び乗る。

"あぁなるほど"

ちょうどそこから巨大なミミズのような妖と小さな少年が見えた。
昌浩だ。
それから結構昔から知っている神気。

「騰蛇のやつ、やっと名を告げたか・・・・」
「だめねぇ、神将の力を借りているようじゃあとが不安だわ」

安倍晴明は十二人の神の眷属を式神となしている。が天津神を式神となしているように。
晴明の式神は十二神将と呼ばれ、半分が凶将、半分が吉将と呼ばれている。外見年齢は実に様々であるが、必ずしも年齢=外見年齢というわけではない。
今感じている神気は凶将、騰蛇のものだ。驚凶を司る彼は煉獄の主でもあり、何もかもを燃やし尽くす焔を持っている。
のよき友人でもあった。

「私の出番はいらないわね」

妖が粉砕されるのを見るとはトンッと屋根を蹴って地に降り立った。

「うわぁっ?!」

昌浩は驚いたように後ろへ倒れる。は腰に手を当てて溜息をついた。
どうやら暗視の術をかけていないらしい。

「あれ・・・・」
「"墨染めの鬼"、だな?」

昌浩の傍らに姿を見せた白い物の怪がたずねた。
はニコッと笑ってうなずく。

「本当はあれ、私の獲物だったんだけど、まぁいいわ。今回は見逃してあげる。でもね、昌浩」

ぐぃっと顔を近づけたは、想わぬ鬼の正体に驚いて声も出せない昌浩の顔を見た。

「男ならもうちょっと度胸をつけなさい」
"それは無理だ、お前じゃないんだから"

それはそうだ、と白黒の物の怪は二匹そろって思った。
そして昌浩はこの日から墨染めの鬼であるとともに度胸をつけるための夜警に出ることになったのであった。